遺跡馬鹿の番組&雑多感想








 謎の古代ピラミッド〜発掘・メキシコ地下トンネル〜

【紹介された遺跡・博物館】


テオティワカン(メキシコ)  
パコパンパ遺跡(ペルー) 3000年前
ギョベックリテペ遺跡(トルコ) 1万年前

謎の多いテオティワカン(昔はティオティワカンって呼んでましたが)の解明につながる新たな発見!
久しぶりに胸躍る特集でした。


謎の地下トンネル
大雨でいきなり地面が陥没!
映画みたいな事が起こり、1800年間誰も足を踏み入れていない地下トンネル発見。
もっと昔に穴が開いていたら盗掘の可能性もあっただろうし、灰の検査も出来なかったのだから、今の時代に穴が開いて本当に良かったと思いました。
意外と高さがあり、これだけの空間を木の道具だけで掘り進めたとは…テオティワカン人、恐るべしです。


光る壁、埋められた土偶、巻き貝
トンネル内部の壁には光る鉱物が塗りつけてあり、今見てもキラキラして綺麗です。
こういう演出って自然洞窟にもあったりするので、光ること自体は特別に思いませんが、何のために光らせたのかは気になります。
 死者のため、神のため。
 お参りに来る信者のため?
色々と想像すると楽しいです。
埋められていた石像はどれも頭でっかち!
しっかりと目玉が彫ってあり、生者であることを強調しているように感じました。
元は立っていたとか…あんな貧弱な足の人形を立たせようとした古代人…本当かなと疑問を持ちました。


木の箱の灰
火葬した人間の痕跡なのか!?
灰しかなくても人間の証明って出来るものなのでしょうか。


街よりも先に作られたピラミッド
今回のポイントは、杉山先生の 「ピラミッドは雨期と乾期を知るカレンダーとして、”街が出来る前に造られた”」 という説です。
例としてパコパンパ遺跡が取り上げられていました。
そういう説はアリだと思いますが、私が知りたかったのは、「どうしてこの場所なのか?」ということです。
周囲には山があり、もっと見晴らしの良い場所はあったはずなので、こんな盆地みたいなところにピラミッドを築く利点は無いと思いました。
ひょっとしてテオティワカン人は太陽が見えれば、場所はどこでもかまわん…というのか。
それとも盆地だから良かったのか。
しかしケツアルコアトルの地下トンネルの地盤は粘土。
どう考えても当時、この辺は沼地だったんじゃないかと思うわけで、ここに石の建造物を建てようと思うなら、私だって、「ちょっとまて!地盤は大丈夫なのか!?」と心配になります。
それら諸々の疑問を払拭してくれるような説が登場しなかったので、私は残念に思ったのです。


トンネルの先には地下の泉が…
洞内に水がたまっていた跡がくっきりと残っていました。
まさに「黄”泉”の国」です。
昔はグチャグチャした土地だったのかもしれないと思いました。
そこで私が推理してみました。

・沼地で、おまけに水を飲みに野生動物が来るので、人はここから離れた場所に住んでいた
・しかし穴を掘ると綺麗な水がしみだしてくるので、ここを「水くみ場」として利用することにする
・地盤が粘土質なので、雨期の水も貯蔵できるように穴を広げ、乾期に蒸発しないよう蓋をする
・やがて季節の周期を人々が理解し、カレンダーとして使えるピラミッドを建てる(月のピラミッド)
・人が増えていくにつれ、水くみ場だった古い泉は神聖視され、ついに盛り土されてケツアコアトルのピラミッドとなる
・神官が雨乞いの時だけ、地下トンネルを訪れる

こんな感じかなと思います。
十字の穴の中心とピラミッドの頂上が重なると言っていましたが、これも地下の十字を意識して土を盛る方が簡単に重なると思うし(たぶん)。


ギョベックリテペ遺跡
なんと屋根が!!!
発見当時の素朴な遺跡からイメチェン!
オシャレなドーム、石像にからみつくワイヤー
こりゃもっと早く見に行けば良かったと後悔するほどの惨状…。
遺跡保護のため仕方ないけど、とてもビックリしました。

NHK・教育関係

 ■ドキュメント20min.「巨石に魅せられたオヤジたち」2011年1月24日(NHK)


【紹介された巨石&遺跡】
拝み岩(おがみいわ)巨石群(熊本県)
チチェン・イツァ(メキシコ・マヤ文明)
アブシンベル(エジプト)


へっぽこ絵
巨石大好き、好き、好き!
この気持ちは分かる!


巨石に魅せられたおじさんの、熱い想いが凝縮された20分でした。
最近はパワースポットブームで、巨石から良いエネルギーをもらおうと巨石ワールドに足を踏み入れる人が多いですが、このおじさん(松永さん)は逆に巨石に自分自身を与えようとするかのような熱意と情熱を持っていて、「あー私と同じ目をしている!」と思いました。
奥さんと娘さんには理解してもらえず、「道楽にも程がある!」と冷たい目を向けられつつも、愛する拝み岩巨石群に通う姿は愛しい恋人ジュリエットの元へ通うロミオのようでした。

拝み岩巨石群は山頂に巨石がドカドカと並んでいて、自然石が偶然に残ったように見えるんですが、人工物だという説もあるそうです。
その説の一つに岩文字の存在と鏡石と呼ばれる石に正確に東西南北を指す十字が刻まれているなどがあります。
放送の中では触れていなかったので確認できませんでしたが、そういうモノがあっても不思議じゃないなと思いました。
頂上石に磁石を当てると針が一定の方角を指し示すことを紹介していましたが、そういう現象は良くあることなので、特別には思いませんでしたが、磁気を感じやすい人が近づけば、おそらく何か感じるくらいはありそうです。

興味深かったのは、絵図で紹介されたこの山全体です。
この山を「拝み山」と呼んでいるそうですが、図で見ると麓から頂上まで、要所、要所に巨石があり、単に山を登らせるのではなく、その要所で何かを行いながら頂上を目指すような、仕掛けになっているように思いました。
その通過儀礼がどのようなモノだったのかは分かりませんが、最終的には頂上に立ち、太陽を拝むのか月を拝むのかして、村の安寧でも願ったのかもしれません。
今は鬱蒼とした木々のなかに石は埋もれていますが、昔は木がなくハゲ山だったそうなので、人々は移りゆく下界の風景を楽しみながら、頂上へと登っていったのかなと思います。

番組の中で、夏至の日に岩の割れ目から日が射し込むと、その形が綺麗な二等辺三角形になると紹介していました。
松永おじさんはその現象を発見した人で私はすごいなと思いましたが、おじさんのすごさはこれに留まらず、月明かりでもその三角形を見たいと思い、実際に行動を起こしたところです。
月が巨石の上に来る日を調べ、それが19年に一度しかないと知り、2010年の今を逃したら、次は死んでいるかも…という事で、今回何が何でも見たいと願う執念には心打たれました。
真夜中、ようやく天候に恵まれて拝むことが出来た月の光は青白く、とても美しく幻想的でした。
19年に一度というのは、イギリスのカラニッシュにあるストーンサークルでもこの周期で月が岩の間を通る現象が起きるので(世界ふしぎ発見でやってた)、「巨石+月+19年」というキーワードは色んな所に隠れているんじゃないかと思いました。
この地元で何か月祭りのようなモノが残っていれば、さらに面白いんですが、どうなんでしょうね。

チラリと映ったおじさんの書斎が興味深かったです。
自分と似たような本が並んでいて、ちょっと借りて読みたいところです。
これからも色んな巨石と出会い、彼らの声を聞いて欲しいなと思いました。

NHK・教育関係

 ■ETV特集 なぜ人は絵を描くのか日比野克彦・サハラ1000キロの旅−2010年1月24日(NHK教育)
■登場した遺跡・場所

ギルフ・キビール(エジプト)

blo_69.gifへっぽこ絵
スイマーと呼ばれている絵です。
伸びた手足が気持ちよさそうです。
私は落下しているところかな…と思いました。


教育テレビ「ETV」で放送された、「なぜ人は絵を描くのか〜日比野克彦・サハラ1000キロの旅」を見ました。
NHK総合で放送された「ギルフ・ケビール」の放送を再編集して一本作ったものでした。
ただNHK総合では絵を描いていませんでしたが、こっちではスケッチしてました。
「世界ふしぎ発見」でカナエ女帝が見に行った岩絵と全く同じ切り口で、「どっちが先に真似たのか?」と思わずにはいられませんでしたが、自分がこんな奥地に行くことは無理そうなので、こうやって紹介してくれるのはありがたいことだと思いました。

ルポした日比野克彦さんがこだわっていた「なぜ人は描くのか?」という問いですが、絵描きがその答えを探すというのは矛盾しているように思いました。
特に現代に生きて、自由に描くことを許された日比野さんの場合、自分の胸に手を当てて考えれば答えは出るんじゃないですか?と、私は思うのです。

私がああいう岩絵を見て不思議に思うのは、一万年の間、ずっと絵のスタイルが変わらないことです。
同じようなデザイン、塗り方…まさにイコンのようだと思いました。
描くこと自体が宗教で、描写に制約があるように見える岩絵。

もちろん古代人は発想が貧困で幼稚な絵しか描けなかったんだろう…という事も考えられます。
学ぶべき手本がなければ、こんなモノかもしれません。
でも子供が絵を描く時、目や鼻をちゃんと描くことを考えると、人間を黒く塗りつぶすという行為は表現の一種であり、意図的に人間を影絵のようにデザインしているんだと思いました。
もし古代人が表現力を持っているなら、もっと創造力あふれた絵が本当なら壁を埋め尽くしていると思います。
それがそうじゃなく、型にはまった描写をしていること…そこが気になるのです。

場所が開放的で、絵の内容も牧歌的に見えますが、描き手の心理がそれと同じとは限らないものです。
私はこういう閉鎖された絵を追求するのなら、実際にイコンや仏教絵図を描いているような、個性を最小限度に押さえ、長く同じスタイルを踏襲して描いている職人さんに見てもらい、何を感じるか、共感するものがあるのか…同じ土俵に立つ者としての感想を聞いてみたいと思いました。

一緒に行った先生たちの話ももっと聞いてみたいと思いました。
特に鳴門教育大学の小川先生の感想は色々と聞いてみたかったです。


NHK・教育関係

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