■ 文庫版あとがき−遊☆戯☆王  ・語録



    遊☆戯☆王の文庫版あとがきを掲載しました。

    文庫版 「遊☆戯☆王」 より引用




      1巻  回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回
         文庫本化にあたり、何年かぶりに倉庫の奥に積まれていた原稿と対面しました。

         自分の中で 『遊☆戯☆王』 という作品はすでに完結しているワケで、連載を終了してからは、単行本を開いて読み返すこともほとんどなかったんだけれど……案の上、懐かしいやら、恥ずかしいやらでホント頭かかえちゃったりする。

         最近はパソコンで色塗るのが楽しくなってしまい、せめて文庫本の表紙は新たに描き下ろそう決めたのですが、当時の絵と比べると、かなりギャップを感じるかも知れないけれど、そこの所は許してやって下さい。
      (でも初期の頃の絵も意外と好きなんだけれど。)

         全編を通して章分けすると−
        <第1章> 学園編
        <第2章> DEATH−T編
        <第3章> RPG (モンスターワールド) 編
        <第4章> 決闘者 (デュエリスト) の王国編
        <第5章> D・D・D編
        <第6章> バトルシティ
        <第7章> 王の記憶編

         『遊☆戯☆王』 は、カードゲームが主流と思われているけれど、ここに収録されている ” 学園編 ” があらゆる意味で思い入れが深い。

         慣れない週刊連載の締め切りに追われる緊張感の中で、登場人物達の個性や信頼関係を築きながら、共に困難を乗り越えたような感覚を、今読み返しても思い出すような気がします。

         『遊☆戯☆王』 に登場するキャラクターは誰もが心に弱さを抱えていて、物語の鍵となる 「千年パズル」 のように、それぞれがパズルの1ピースとなり、誰一人欠けてもストーリーが成り立たない作品づくりが理想でした。さらに、限定的空間の中で仕掛けられたゲームを主人公がいかにクリアしていくか。小道具やアイデアに満ちたロジカルな作りで、何とか一話読み切り形式でずーっと続けていこうと、悪戦苦闘の跡が初期の頃の作品から感じ取れる。

       アイデアの乏しい頭脳ゆえ断念しましたが、当時は精一杯描いたつもりです。

        『遊☆戯☆王』 はかなり前に連載を終了したにもかかわらず、現在もアニメのシリーズ 『遊☆戯☆王GX』 も放映しているし、カードやゲーム、そしてアシスタントの伊藤くんと影山くんが描いている漫画もVジャンプに掲載されています。

        『遊☆戯☆王』 の遺伝子が今尚受け継がれ、様々な形で世界に広がっている現状と、それらを支持して下さるファンの方々には心から感謝したいと思います。

       遊戯、そして登場人物達と共に旅を続けた証である原稿を読み返しながら、時に修正し、一枚一枚の足跡をたどりながら、文庫本を創っていくつもりです。

       おつき合い下されば幸いです。

      平成十九年 4月18日 高橋和希


      2巻  回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回
         作品にミステリーやオカルトの要素を盛り込もうと、エジプトに取材旅行に行ったのですが、今 「エジプトから来た神 (おとこ) 」 のエピソードを読み返すと、ミステリーを飛び越えてかなりシュールで難解だ。ジャーディーというキャラクターも謎めいていて、生きているのかさえ疑わしい描き方をしてしまったので読者には伝わりづらかったかも知れない。

         やはり結果は正直なもので、シャーディーの回はいきなり人気は急降下し、打ち切りの話も出る始末。
         『遊☆戯☆王』 という作品は最初から、古代エジプトのファラオの関わる話にしようと決めていたから大変だ。今から路線変更はできない……打ち切り!!

         それは、ボク自身が心の迷宮に迷い込んでしまったような焦燥感だった。

         ま、いいか。なるようにしかならないし。

         潔い開き直りは、時に良い方向性に気づかせてくれるものだ。

         文庫本1巻に収録された 「牙を持つカード」 が、当時のジャンプに掲載された週に読者の問い合わせが編集部に殺到したらしく、異常な人気を得ていたのを思い出した。

         カードゲームのエピソードは前編・後編の一話限りと考えていたのだけれど、やはりもう一度読者の要望に応えようと。

         当初、海馬瀬人はゲーム会社の御曹司の設定で、奇妙なゲームを次々と考案しては遊戯に闘いを挑んでくるという構想を考えていたのだが、急遽、彼に再びカードを持たせる事になったわけだ。さらに主人公のライバルという準主役にふさわしいキャラクターに再構築したのである。
      (名前に関しては、古代エジプト神話に登場するセト神から付けたものだが、もしかしたらその段階で、主人公のライバルとなる運命を背負っていたのかも知れない。)

         それがまさか、数年後、空前のカードブームを巻き起こすなど、その時点で誰が予想しただろうか。

         とにかく一番驚いたのは、作者であるボク自身だったかも知れない。

         かくして次巻 ” DEATH−T編 ”。

      平成十九年 4月18日 高橋和希

      3巻  回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回
         ” DEATH−T編 ”は、実はボクが最も気に入っているエピソードです。

         主人公がゲームで悪い敵を倒すというコンセプトに従い、連載の構想を練っていた頃、ひとつのクライマックスとして考えていたアイデアが 「DEATH−T」 でした。

         連載も人気次第で、いつ終了するかわかりません。あまりに壮大なストーリーにしてしまうと、尻切れとんぼになってしまうのです。

         この展開だと、主人公・遊戯と仲間達が、頂上で待つ宿敵・海馬を倒し、ラストページで、

         「主人公の闘いは終わらない!」

      …的な、少年漫画ではたまに見かけるラストシーンに持って行けるわけです。

         そうならなくて良かった……と、つくづく思います。

         とは言うものの、” DEATH−T編 ” は予定よりも、多少短くなってしまいました。(本当はDEATH−T−8くらいまでアトラクションを用意していた。)

         海馬が遊戯への復讐のために創り上げたテーマパークは、近代的なタワー型高層ビルだったハズ! 主人公達が頂上に到達するのが、少し早かったように思います。

         行く手を阻む困難をクリアし、最終地点に待つラスボスに闘いを挑む主人公達!

         ボクはそうした、ひと昔前のジャンプ漫画的な展開が大好きなのです。ハードルが高ければ高い程、問題が難解であればある程、敵が強ければ強い程、感動も大きくなるのです。

         ” DEATH−T編 ” を短くした理由は、担当の次の一言でした。

         早くカードバトルやろうよ!!

         きっと結果的には良かったのだと思います。

         ” DEATH−T編 ” において、 『遊☆戯☆王』 の物語の重要なファクターである 「もうひとりの自分」 への気付きが描かれます。
       
         遊戯と闇遊戯との心の距離が近づく第1ステップです。

         実はこの頃には、最終回のイメージができていて、どのような形であれ遊戯は 「もうひとりの自分」 と向き合い、真の 「自立」 を勝ち取らなければならないと考えていました。

         そのためには、闇遊戯(アテム)の持つ圧倒的な存在感と対等に向き合える程の強さと自信を、遊戯は身に付けなければならない。

         遊戯にとっての 「闘い」 の長き道のりは、ここから始まったような気がします。

      平成十九年 6月15日 高橋和希


      4巻  回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回
         テーブルトーク・R・P・G (以下 T・R・P・G)。

         あまり聞き慣れない人も多いと思います。

         今ではR・P・Gといえばコンピュータゲームや、オンラインによるものが主流です。

         しかし、R・P・G (ロール・プレイング・ゲーム) の意味は、 「役割演技ゲーム」 であり、1970年代前半にアメリカで最初に登場した、戦争シミュレーションのミニチュアボードゲームが原型とされています。その後、1974年に、T・R・P・Gの代表作である 「D&D (ダンジョン アンド ドラゴン) 」 が誕生しました。

         ボクも今程コンピュータゲームが盛んではなかった20年程昔、友人達と集まってはT・R・P・Gを楽しんでいました。

         参加者はマスターとプレイヤーに分かれ、対話を通じて、架空世界の中で冒険を繰り広げていくわけです。

         プレイヤーはそれぞれ自らが操るキャラクターを用意し、職業や能力値などを設定します。

         プレイヤーが囲むテーブルは、魔物が待ち受ける迷宮や秘境へと変貌し、マスターという名の神がフィールドを支配する。

         プレイヤーの言葉は 「魔法」 となり−
         ダイスは時に 「武器の力」 となり−
         マスターは運命の審判を下す。

         ボクは主に 「戦士」 を操っていて、勇猛果敢にモンスターの潜む洞穴に攻め入り (それも全てはマスターが言葉巧みに誘導したシナリオではあるけれど)、仲間と共に敵と闘うのだが、神 (マスター) が与える試練はそう容易くはクリアできない。絶体絶命のピンチを招きます。

         そんな時、ダイスを握る手には渾身の力が込められ、汗がふき出す。中にはダイスを握りしめ、祈りを捧げる奴もいる。

         運命を賭け、ダイスを振る。

         クリティカル!!

         最高の目を出し、ピンチを脱出する。
         その瞬間が最高に楽しいのだ。もうみんな大爆笑!
         そこには、仲間の顔があり、声があり興奮があるのだ。

         なんとなく、そんな感じを表現できたらと思い、” P・R・G編 ”を描いたんですが……。

         最近はR・P・G (ゲーム) といっても、ひとり画面にむかってたり、顔の見えないネットゲームであったりします。それはそれで楽しいんだろうけど、やっぱ仲間がワイワイ集まって遊ぶゲームに比べると、なんか退屈な気がします。

      平成十九年 6月15日 高橋和希


      5巻  回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回
         最初にアニメ化の話が来たのは、" DEATH-T編 " が終わって間もなくの頃だったと思います。

         それまでは読み切り形式で続けるつもりでいたのですが、とうとうアイデアも枯れ果て、ここは長編のシリーズ物に挑戦しようと考えたわけです。その為にはカードゲームを主体としたストーリーを構築しようと。

         ボクは漫画、TV両面を問わず、カードから飛び出すモンスターバトルは、迫力と緊張に満ちた面白いものになると絶対の自信がありました。さらには、漫画と違いアニメは色のついた絵を動かす事も、声や音楽を乗せる事もできるわけですから尚更です。

         ” 王国編 ” の元になっているのは、ボクが小学生の頃に体験した町内会のオリエンテーリングです。広い公園や山野などで行うゲーム感覚の野外スポーツで、参加者はチームに分かれ、フィールドに設置されたポイントを、スタートからどれだけ早く通過し、ゴールにたどり着くかを競うものです。

         つまり 「決闘者の王国」 フィールドに、デュエル・ボックスというポイントをちりばめ、そこで遊戯や城之内をはじめとする決闘者達がカードゲームで闘い、ペガサスの城のゴールを目指すわけです。

         ” 王国編 ” での反省点は、カードゲームのルール作りに問題が多すぎた事。

         前編・後編の一話限りのために作ったルールだった為、まったく練りきれてない代物で、この点においては読者の皆さんにも謝らなければならないと思っています。

         ただ、この時点においてもまさか、カードが実際に売り出されるとは考えてもいなかったのです。

         残念ながら最初のアニメは、” 王国編 ” の前に終わってしまったわけですが、仮に続いていたとしても進行上、展開が追いついてしまい、制作するのが難しかったのではなかったかと思います。

      平成十九年 7月18日 高橋和希


      6巻  回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回
         キャラクターを創作する上で参考にするものがあります。ボクが考案した三次元グラフなのですが、今回はそれをご覧にいれましょう。

         これはあくまでも、作者であるボクが考えた各パーソナリティ分布図に過ぎません。

         皆さんはそれぞれ、キャラクターの感じ方が違うかも知れませんが、感じたままに分析してみるのも面白いかも知れません。

         こうして見ると、ボクの漫画に登場する悪役は、自己愛が強く、執着心に溺れ、欲深く、時に電波傾向にあるように思います。

         意外と我々人間にも当てはまるかも知れませんね。

         森羅万象、この世界に存在するすべてのものは、二つの相反する性質で作られていると言われています。
         光と闇、表と裏、善と悪、天と地、それらは『遊☆戯☆王』のテーマでもあります。

         人間の心の振り子も、様々なエネルギーで揺れ動いていて、それは善にも悪にもなり得るわけです。この世界に重力があるように、自制心をもって生きる事が最も大切だと思うのです。

      平成十九年 7月18日 高橋和希


      7巻  回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回
        最初のアニメが決まった時、遊戯の声を誰に演ってもらうか考えた末、ボクの方から、緒方恵美さんの起用をお願いしました。初回のアフレコ現場で、声の演技の素晴らしさに圧倒されたのを覚えています。
         初期のシリーズは学園物の要素が強く、遊戯もダークヒーロー的なキャラクターだったので、表と裏の声の演じ分けが絶妙で、期待以上の遊戯を演じて頂きました。

         次のシリーズは放送局の関係もあり、声優さんも新たに起用することになりました。

         風間俊介君に最初にお会いして感じたのは、表の遊戯に似ているなぁ…と。

         素直で礼儀正しく、学生服の似合う風貌。

         当時から、ドラマなどの演技が高く評価されていて、ボクが学生の頃と比べたら、まるで天と地のようだ、と思った程です。

         声優としては初めての経験だったので、最初の頃は慣れない感じだったのですが、回を重ねる程に上達していくのがわかるのです。

         「この作品は、風間君と一緒に成長していくよ。いずれ彼の中から、隠された部分が出てくる。裏の遊戯がね。」

         第一回目のアフレコの後、プロデューサーと飲みながら、こんな会話をしていました。

         あれから四年後−−

         近所のよく行く鮨屋の座敷に、プロデューサーの方がわざわざ買ってきたTVを設置し、風間君とボクと何人かでテーブルを囲んで、その時間が来るのを待っていました。

         遊戯の最終話の放送時間を…。

         見終わって、しばらく声が出なかったなぁ。

         風間君の演技は、本当、素晴らしかった。

         成長するのは当たり前の事で、それ以上に彼は、ボクの中で明らかに、

         『遊戯王』 になっていた。

         横を見ると、風間君がちらし寿司食べてました。

      平成十九年 8月10日 高橋和希


      8巻  回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回
        実は、幻の劇場用 『遊☆戯☆王』 の企画がありました。

         『遊☆戯☆王』 のアニメが終了し、続編作品として舞台背景とキャラクター設定を引き受けた 『遊☆戯☆王GX』 の放映も、一年を迎えようとした頃、劇場用の話が持ち上がったのです。

         これは面白そうかも!と思い、こんなタイトルさえ用意していたのです。

         『遊☆戯☆王 vs GX!!』

         昔、「マジンガーZ 対 デビルマン」 とか期待させた劇場まで行った挙げ句 (歳バレるなぁ…)、全然闘わないじゃねぇか!!と怒った懐かしい幼少の頃から、この手のタイトルには、何故か胸がときめくものがあったのです。

         ストーリーはこんな感じです。

         ●伝説の決闘者達の街−童実野町に修学旅行で訪れたアカデミアの生徒達。その中に、一際眼光の鋭い天才決闘者が、遊戯達を倒すべく機会をうかがっていた。それが神秘のタロット使い・斎王琢魔というキャラクターでした。

         ひょんな事から出会った遊戯・城之内と十代達。そして海馬コーポレーションに接触し、陰謀を謀る斎王。

         童実野町が、新たな決闘の舞台になるという!壮大な展開?だったのです。

         問題は、アテムを復活させるかどうかを悩んだのですが、やはり、原作のテーマを裏切る事になるので、今後も姿を見せる事はしないと決めています。

         結局、この企画は流れてしまいましたが、久しぶりに頭の中で、遊戯達が活躍したので楽しかったです。

         遊戯と十代?

         もちろんヒーロー同士は闘いませんよ。  映画ではね!

      平成十九年 8月10日 高橋和希


      9巻  回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回
         2007年の夏、米のサンディエゴのコミック・コンベンション会場で開催された 『遊☆戯☆王 世界大会』 に行って来ました!!

         世界各国から予選を勝ち抜いて来た、様々な国の決闘者達を目にすると、日本では感じる事のできない 『遊☆戯☆王』 の規模の広がりに正直驚くばかりでした。

         コミ・コンもえらい盛り上がりで、大好きなアメコミやフィギュア、アニメなどのグッズを大量に買い込んで、思う存分楽しんで来ました。 (できればあと3日滞在したかった)

         その後、ラスベガスを訪れたのですが、思えば、ペガサス・J・クロフォードの生まれ育った街でもあるわけです。カジノホテルの資産家の父を持ち、何不自由なく育ったペガサスでしたが、婚約者シンディアの死によって彼の心を闇が支配していくわけです。

         純粋な愛は、狂気との合わせ鏡であり、彼の心に住むたった一人の親友であるファニー・ラビットは 「不死」 の象徴でした。

         画家としても非凡な才能を持つ彼が、エジプトを訪れ、やがてM&Wのカードを生み出す事になるのですが、それは千年アイテムによって闇に導かれていく悲しい運命の始まりでもあったのです。

         原作では、ペガサスはバクラによって暗殺されているので、その後、彼が登場する事はありません。きっと心の狂気の霧も晴れ、罪を償い、天国で愛するシンディアと再会している、とボクは考えています。

         こんな都市伝説があります。某ゲーム企業が密かにペガサスを蘇生させ、秘密の地下工場で日夜カードを創らせているというのです。

         商業ロボット・ペガサス2号は、世界の決闘者達の為、カードを供給し続けるのであった!!

      平成十九年 9月14日 高橋和希


      10巻  回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回
      ♂♀
         「何故、『遊☆戯☆王』 に登場するキャラクターの父親は、ひどい人ばかりなのですか?」

         ファンの方から、たまに訊かれる質問なのですが、たしかにこの巻に登場する御伽の父親も、非道を越えて滑稽ですらある。

         城之内の父親も、賭博好きの酒乱だし、海馬瀬人の (義) 父は、帝王学の名のもとに鞭を打つ暴君であったりする。まだ他にもいるな…。

         まるでロクデナシ親父の品評会のようだ。

         そんな設定を考えたのはボクなんだが…(汗)

         冒頭のシンボル−−−♂は男性を表し、♀は女性を表す。皆さんも御存知でしょ?

         ♂は槍を持って闘う男性の姿を、♀は胸に十字架を持ち、祈りを捧げる女性の姿を具象化したものです。

         国や家族の為、また自らが生き抜く為に槍を手に、戦争や狩りに赴く男 (父) 性 ♂

         それらの平穏無事を祈る女 (母) 性 ♀

         そこで作品に登場する父親と、それぞれの子に対する関係を表現するとこうなります。

         御伽父   槍を持たせる父親
         城之内父   槍を持たない父親
         瀬人 (義父)   槍を向ける父親
         花咲父   槍を捨てた父親
         マリク父   槍を刺す父親

         この世界に完全無欠な人間は存在せず、彼らの父親もまた、一人の人間に過ぎない。おそらく、世を生き抜いて来た中で、心のピースが欠け落ち、闘い破れた戦士だったのかも知れません。

         父は 「負」 の遺伝子さえ容赦なく子に伝承させ、子はいずれ 「負」 に立ち向かう運命を背負っていく。「子」 は、純真なる心を砕きながら現実と向き合い、「個」 を確立させ、やがて槍を持つ戦士となり、社会の 「弧 」 となる。

         ボクの中で、父親越えも、純然たる少年漫画のテーマであり、キャラクター達に課せた 「個」 の闘いの試練でもあるのです。

         「個」 のみで境遇を乗り越えていこうとする者、仲間によって乗り越えられる者、敗北する者。

       主人公の遊戯は、別の視点で 「個」 の闘いを描く為、あえて父親は登場させませんでした。

         一応、単身赴任で家にいないという設定にしてはいましたが、実はゲームマスターだった父親が、ある島にゲームの試練を張りめぐらせ、息子の遊戯に挑戦して来る、というアイデアがありました。これは、もう一人の自分と別れた後のエピソードでなければ意味がないのでボツにしましたが…。でも母親を登場させたのは遊戯だけかな。

         ラスト近くに登場する 「ホルアクティ」 は、ボクなりの、♀ (母性) の象徴として描きました。

      平成十九年 9月14日 高橋和希


      11巻  回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回
         モンスターデザインについて−

         作品を通じて、自分でも把握しきれない程、数多くのモンスターを創ってきました。

         二度目のアニメ企画が持ち上がった事もあり、長編のバトル・シティを考えたのですが、カードバトルを主体にし、決闘者の人数も ” 王国編 ” より増やそうと決めたので、かなりの量のモンスターをデザインしなければならないと覚悟をしました。舞台は童実野町。街のどこでも闘えられるように次世代・デュエル・ディスクを登場させ、ソリッド・ビジョン・システムのハイテク技術の進化によって、より巨大なモンスターを出現させることにしました。

         イメージ的には、街の中で暴れまくる巨人怪獣。子供の頃に夢中になったウルトラマンなどの特撮ヒーローものの世界です。実はその当時、ボクの夢は怪獣デザイナーだったので、意外に実現したのかもしれません。

         ” バトル・シティ編 ” に登場する決闘者のモンスター ( ” 王国編 ” から引き継いだもの以外) は、彼らからカードを引く場面で初めてデザインをするようにしました。その方が、決闘者のその場の心情や緊迫感などをモンスターに吹き込めるからです。原稿の下描きの段階で即興でデザインするので、カードを引くまで、ボク自身もどんなモンスターなのか分からないです。

       しかし、いつも上手くいくわけでもなく、何度も原稿を描き直すこともしばしば。
         今回登場させたブラック・マジシャンの弟子も、最初に描いた下絵では、アメコミ風のオネーさん(いわゆる魔女系)だったのですが、気に入らず、思い切って若い女の子にしたら、これがしっくり来てしまい、ブラック・マジシャン・ガールが誕生したのです。

         モンスターデザインは大変だけど、楽しんで描いています。

      平成十九年 10月18日 高橋和希


      12巻  回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回
        話は遡るのですが、瀬人とモクバが幼少の頃、海馬剛三郎の養子として引き取られるきっかけとなったエピソードです。

         幼い頃に両親を失った瀬人とモクバ。まわりの大人達に裏切られ、児童養護施設に預けられたのは、瀬人が十歳、モクバが五歳の時でした。ある日、施設を訪れた海馬コーポレーションの総帥・剛三郎。瀬人は施設暮らしからの脱却をはかるため、弟のモクバと共に養子になる条件を賭したチェスの勝負を剛三郎に仕掛けるのですが、相手は世界大会を連覇する程のチェスの強豪。更には、軍需産業を基盤に置く企業を、一代で世界のトップにまでした戦術家でもあるわけです。

         わずか十歳の瀬人が剛三郎に勝つ勝率は、限りなく0パーセントに近いはず。
         では、どのようにして勝ったのか。
         漫画では描かれなかったのですが、瀬人のイカサマチェスの解説をしたいと思います。

         実は、瀬人は最初の駒を動かす、彼の一手目で賭けに勝つ事ができたのです。
         しかし、これはある条件で剛三郎に勝負をさせる必要があった。その瀬人の条件とは、

         「あなたは、ボク達兄弟と同時にチェスの対決をしてもらいたい。そして、どちらか一人があなたに勝つか引き分けたら、この勝負はボクらの勝ちにしてもらいたい。」
         つまり、一対二の勝負に持ち込むのです。
         チェス王者である剛三郎のプライドは、幼い兄弟の挑戦に背を向けるはずもなく、その条件をのむ事になります。
         プライドが盲点となるとも知らずに。
         剛三郎を間に挟む形で二つのテーブルが用意され、同時に二つの勝負がスタート。
         瀬人のテーブルでは、剛三郎が先手で最初の駒を動かします。次にモクバのテーブルでは、モクバが先手で駒を動かします。この時モクバは、瀬人のテーブルでの剛三郎の一手目と同じ駒を動かすのです。この瞬間、すでに剛三郎は罠にはまっている。あとはモクバに対する剛三郎の二手目を待つのみ。
         瀬人は、その二手目を再現すればいいだけ。これで剛三郎はもう一人の自分と勝負する事になり、瀬人の負けはなくなるわけです。
         しかし剛三郎は、子供の浅知恵など最初から見抜いていて、平然とイカサマを仕掛けてきた瀬人に、自らの後継者となり得る資質を垣間見たのかもしれません。
         幼き瀬人は、小さなチェス盤上で最初に動かした駒が、やがて自らの運命を揺るがしていく事をこの時、知る由もなかったのです。

      平成十九年 10月18日 高橋和希


      13巻  回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回
         デュエルの場面を描く時、ボクが最も心掛けていたのは、いかにビジュアル的に派手な演出ができるかどうかでした。
         モンスターバトルの技の応酬。魔法カードのエフェクト表現。罠カードによる攻守・形勢の逆転など。それらがイメージできてようやく一コマ一コマを描く事ができるのです。
         プロレスのように、序盤は互いにチョップ合戦、徐々につなぎ技を見せて、終盤に逆転の必殺技で勝つ。そんな感じにバトルとドラマを盛り上げていくのが好きです。
         実際のカードゲームをプレイするとわかるのですが、割と淡々と進んでいくものです。
         それが漫画になると、モンスターが爆発したり、キャラクターが吹き飛ばされたりするのですから、もう大変です。描いている方も熱くなってしまうのです。
         コマ割りは、キャラクター達の心理状況に応じて、バランスをくずします。平静な時は垂直水平にコマを割り、危機的状況に追いつめられている時は、不安定にコマを割ります。
         カードを引く場面は、見開き左下のコマに描き、ページをめくると同時に読者にカードの絵柄を見せるように工夫しました。
         そうする事で、読みながらキャラクターと一緒にカードを手にして闘っているような臨場感を与えたかったのです。
         ボクにとってデュエルは、キャラクター達の感情や、精神性のぶつかり合いを、カードモンスターの闘いによって見せるものと考えています。ルールをできる限り単純にしているのも、その為です。だから、連載中もあえてOCGはやらないようにしていました。OCGは、絶えず戦略性を拡張していく事が義務づけられている為、テキストの効果説明も日々複雑化していき、漫画などでは到底、描ききれるものではないのです。

         仕事場の近くの倉庫には、ダンボール箱が山積みされていて、それらは連載している頃から運ばれた 『遊☆戯☆王』 関連のグッズやカードなどが入っているのですが、そろそろ封印を解いて、OCGを久々にプレイしてみようかな、なんて思ってます。

      平成十九年 11月16日 高橋和希


      14巻  回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回
         もう十二年くらい前の事ですが、『遊☆戯☆王』 の企画を立てている頃、初めてエジプトを訪れました。殴り合わない新しいバトル漫画の題材としての 「ゲーム」 を調べていくと、古代エジプトにその起源があるとわかったからです。
         かの有名な少年王ツタンカーメンの墓からも、盤上ゲーム「セネト」が埋葬されていた事が、古代エジプトの時代からゲームが遊ばれた事実を物語っています。
         ツタンカーメンの父であるアクエンアテンは、世界最古の宗教改革を起こしたとされるファラオでした。それまでの多神教を、太陽神を主神とする一神教とする布告を出したのです。太陽こそが人々に平等に光を与えるものとし、軍隊の解体、神官制度の廃止などを断行し、宗教的習慣や芸術様式に革命を起こしました。
         それが、アテン神信仰と呼ばれるものです。
         結局、改革は失敗に終わり、元の多神教信仰に戻り、アクエンアテン死後は、その名は王名表からも抹殺されてしまったのです。
         もし改革が成し遂げられたなら、ツタンカーメンの名も違うものになっていたでしょう。

         時代は移り、今の世はどうかというと、信仰、宗教、人種、国家的利権など様々な原因で、国同士の戦争や民族紛争が絶えません。
         人々にとっての心の救いであるはずの神が、戦争の火種になっている事も珍しくはないのです。
         ボクは、” バトル・シティ編 ” を描くにあたって、三枚の神のカードを登場させました。

         「オベリスク」・「オシリス」・「ラー」
         それら三幻神は、それぞれ西洋の巨神・東洋の龍神・中東の太陽神をイメージして作ったものなのです。
         童実野町を舞台にした神々の闘いは、この世界で行われている悲劇の縮図として、ストーリーに組み入れました。
         善と悪の境界などは存在せず、心には神も欲望も同居させる事のできるのが、ボクら人間の持つ「闇」そのものであり、闘う事でしか、真実を知り得ない愚かさも秘めています。
         最終章で、もう一人の遊戯が三枚の神のカードを束ねて、唯一創造神を出現させ、 「闇の邪神」 を滅ぼします。
         その時に明かされる、もう一人の遊戯の本当の名前−。
         かつて古代エジプトの王であった彼の名は、そんな願いを込めて付けました。

      平成十九年 11月16日 高橋和希


      15巻  回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回
         ひとりで作業するアトリエに、待望のデスクトップ型のパソコンを購入したきっかけは、『遊☆戯☆王』 の文庫版が出る事となり、表紙の描き下ろしイラストにCGを使ってみようと思いたったからです。
         それまで仕事場でのパソコン作業はスタッフにまかせ、ボクの作業はすべてアナログ。原稿のカラーは、主にコピックや水性マーカーなど使用していたので、次はもっと濃厚なタッチの絵画調のものを、初挑戦となるCGで描いてみたくなったのです。
         パソコンを起動させ、慣れないツールで絵を描き始めました。なかなか上手く行かず、何度も描き直していると、突然キュウウンとゆう奇妙な音とともに画面が固まり、フリーズしてしまったのです。データもパー。
         強制終了させ、再起動して作業を始めると、キュウウン。またフリーズ。そんな事をくり返していると終いには、起動ボタンを押すと同時にキュウウン。瞬間冷凍!!
         「何だよこのパソコン! 不良品じゃねえか!!せっかくの創作意欲を台無しにしやがって!!」
         三時間繋がらなかったメンテ業者に何とか修理の要請をし、電話を切ってふと見ると…パソコンが普通に起動しているではないか!!
         絵も描ける!! 直った!!
         その後、修理のキャンセルを伝え、再び作業をしていると、キュウウン。突然フリーズ。
         「絶対、ナメてやがる…。」
         近くの専門店に、くそ重いパソコンを抱えて持って行き、店員に診てもらうと……なんと!!立ち上がるではありませんか!!
         「どこも異常ありませんよ。お客さん。」
         そんなハズは……でも……いや……ハイ。
         再びアトリエに持ち帰り。机に座って起動させてみると……キュウウン。フリーズ。
         「CG、向いてないって事かな……オレ。」
         起動!フリーズ!起動!フリーズ!
         「このポンコツ!!」  グキィッ!!
         パソコンを蹴とばした瞬間、足の親指を捻挫し、三週間の整骨院通い。
         時には何を思ったのか、パソコンを風呂に入れてみた事もあります。
         すっかり乾いたパソコンを起動させると、なんと!普通に立ち上がるではありませんか!!しかし、少し作業はできたものの、すぐに
         キュウウン!フリーズ!
         前にパソコンの水洗いの話を聞いた事があったのですが、やはり無理でした!

         ボクが以前から持っていたノート型のパソコン。多少、処理に時間がかかるけれど、絵を描くのに、全く支障ありませんでした。
         しかも軽いので、どこでも持ち運ぶ事もできるし便利!
         今回の表紙イラストは、石垣島の海を眺めながら描いたものです。

         あのパソコンは仕事場で冷凍睡眠中です。

      平成十九年 12月13日 高橋和希


      16巻  回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回
         七年あまりの過酷な週刊連載を頑張って乗りきり、疲れきったボクを皆さんで称え、励ましてもらうために開催した 『遊☆戯☆王』 連載終了記念パーティの席での事。
         Vジャンプの編集の方から、『遊☆戯☆王』 の続編となる漫画の企画を相談され (もう正直ヘトヘトで考えたくもない企画だったが…)、ボクのAの伊藤くんが描くという事で、とりあえずのGOサインを出しました。
          当初、『遊☆戯☆王』 のキャラクターを三頭身にしたギャグ的なノリのものを考えていたのですが、イメージを壊さない様、本編の番外編となる新たなシリーズをスタートさせる事になったのです。
         連載は一年、という約束だった 『遊☆戯☆王R』 も気がつけば四年近くも続いて来ました。Rでは、監修としてボクの名も記されてはいるものの、そのほとんどは伊藤くんが創り上げた作品です。
         一度完結した物語を、新たな形で連載するのは大変だろうし、かなりのプレッシャーがあったと思うのですが、よく頑張ってくれたと感謝しています。
         その一年後には、同じくVジャンプで、ボクのAの影山くんが 『遊☆戯☆王GX』 を描く事になりました。
         GXは、『遊☆戯☆王』 の連載が終わってすぐに、制作側からアニメの続編を考えてもらいたいという相談を受け (正直ヘトヘトで考えたくもない企画だったが…)、一年だけという約束で、とりあえずのGOサインを出しました。主要キャラクターと設定などはボクがやる事になりました。そして気がつけば、もう四年近く放映が続いています。
         影山くんには、アニメの設定に縛られず、好きに描いてもらっています。GXでも監修としてボクの名が記されていますが、やはりまかせっきりで、そのほとんどは影山くんが創り上げた作品です。とても頑張ってくれていて感謝しています。アニメも同様。
         文庫版の再編で、ボクの原稿を読んでいると、様々な形で広がっていった 『遊☆戯☆王』 が久しぶりにボクの手元に戻って来たような、不思議な感覚を覚えます。

      平成十九年 12月13日 高橋和希


      17巻  回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回
         海外でのインタビューで、必ず訊かれる質問に 「 『遊☆戯☆王』 を描くきっかけは?」 というものがある。とても困った質問だ。
         たいていはカッコつけて 「ゲームという斬新な切り口で、今までにない闘い…云々…」 などと答えるのだけれど、実際は自分でもよくわからない。 「たまたま思いついた…」 のかも知れないし、「遊戯というキャラクターを描きたかった。」 …それも真実だ。
         ただ、自分を振り返ってみて、きっかけとなった出来事。なんとなくだけれども、今も記憶に残る、遠い昔の出来事。それは、ボクが小学一年の頃だったと思う。

         ボクは、ブロックを組み立てるのが好きで、よく一人で遊んでいた。持っていたブロックのパーツは、それ程多くはなかったので、何かを作っては壊し、また組み立てる。それを繰り返していた。近所のオモチャ屋のウィンドウには、ブロックの大きな家が飾られていて、よく眺めていたものだった。ボクの持っているブロックで、その家を再現して作ろうとしても、表面を真似るだけの、奥行きのないペッタンコの家しか作る事が出来なかった。

         近所に住んでいるA君の家に遊びに行ったのは、A君の小学四年になる兄が、最近発売されたばかりの宇宙ロケットのブロックを買ったので、一緒に作ろうと誘われたからだ。
         宇宙ロケットのバラバラのパーツ
         それらは、今まで見た事のないものばかりだった。パッケージの円筒型のロケットのイラストが、ブロックを作る前の高揚感をさらに高めてくれた。ボクの持っているブロックは直線的な物ばかりだったので、丸みを帯びたブロックのパーツは、その曲線に負けないくらいボクの目をまん丸くした。
         その中に、ひと際輝く、透明な、小さいブロックのパーツ。それは、原色の世界にいたボクにとってのダイヤモンドだった。
         その透明パーツは、一センチ程の丸い形で、ロケットの先の細い部分を構成する部品だ。
         A君とボクは一緒にロケットを組み立てた。
         ここのパーツはここだ、ああなどと云いながら、一時間程でロケットは完成した。
         「へー、お前らが作ったんか!」
         A君の兄がやってきて、完成したロケットを見ながら感心した様子で呟いた…次の瞬間、
         「あれ!ないぞ!ロケットの先に透明なのがあるハズなんだ!」大声で怒鳴った。
         A君も、ビックリしてキョトンとしている。
         「お前ら!探せ!見つけ出さないとタダじゃ済まさねえぞ!」兄が睨み据える中、A君は泣きそうな顔で必死に探している。
         ボクは、兄さんの迫力にビビってしまい、体が硬直して動けなくなってしまった。いや…動けなくなった理由はもうひとつあった。

         ボクが左手に透明なブロックを握りしめていたからだ。
         (A君家には、他にもブロックがたくさんあるし、ロケットの先がほんの一センチ短くなるだけじゃないか!)
         ボクは、そんな事を考えてしまったのだ。
         真っ赤な顔で怒る兄。泣きそうなA君。
         ボクは、どんな顔をして左手を開ければいいかわからず、そのまま縁側から外に放り出されてしまった。
         家に帰る途中も、ボクは左手を握りしめたままだった。……ただボロボロ泣いていた。
         その後、A君とは会えなくなってしまった。

         そんな事で、ボクは心の中にあった大事なものを失ってしまったような気がした。
         『遊☆戯☆王』 の第一話で、パズルの一ピースを盗んだ城之内が、最後には勇気をもって遊戯にそれを返すエピソードが描かれています。
         ボクは今でも、ボクの左手には、あの時の透明なブロックが握られているのでは……
         なんて事を考えてしまいます。

      平成二十年 1月18日 高橋和希


      18巻  回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回
         遊戯・海馬・城之内
         ” バトル・シティ編 ” において、彼らはそれぞれが皆、勝者であったとボクは考えています。
         遊戯は、トーナメントを制した勝者−−。
         海馬は彼の心に巣くう、亡き義父・剛三郎というトラウマを乗り越え、自らの夢の実現に向け、歩み出す勇気を勝ち得た勝者−−
         城之内は、真の決闘者の意味する、自立し闘い抜く事に目覚めた勝者−−
         ” 王国編 ” での城之内は、決闘者としての成長はあったものの、勝ち進む事が出来た大きな要因は、遊戯や仲間達の存在に他ならない。
         自分に足りないものや弱さを互いに求め合い、依存し合う関係などは、海馬の云う友情ごっこに過ぎない。互いに認め合い、それぞれが自立した上で、初めて友情が成り立つとするならば、バトル・シティで真の決闘者を追い求め、ラストで闇遊戯と城之内が対峙し、決闘するシーンこそ、彼らの友情が成立した瞬間だったのかも知れません。

         実は、『遊☆戯☆王』 の最終話のエピソードは、別バージョンが存在していました。
         表遊戯が歩み出すラストカットの後で、バトル・シティの闇遊戯vs城之内の決闘で物語を締め括るという、もうひとつのエンディングでした。
         ボクの中では、闇遊戯と城之内の決闘の構想は出来ていて、どちらが勝ったかも決めてあるのですが、それはあえて語りません。
         その闘いは、互いに一歩も譲らない激しい攻防が繰りひろげられ、ラストターンで闇遊戯が、真紅眼の黒竜で攻撃を仕掛けます。
         その瞬間、城之内は 「時の魔術師」 を場に出し、最後の賭けに出るのですが、彼らのフィールドにタイム・マジックの魔法がかかり、その中で闇遊戯と城之内が目にした光景は、決闘を越えた輝かしい光景だった。というエンディングでした。ラストカットは、わずかな笑みをたたえた闇遊戯のアップ。
         しかし 『遊☆戯☆王』 は、武藤遊戯という少年と、彼の心に存在したもう一人の遊戯を主人公とした物語だったので、今のエンディングで良かったと思っています。

      平成二十年 1月18日 高橋和希


      19巻  回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回
         ” 王の記憶編 ” は、それまでに描いてきたゲームやカードバトルとは異なる世界観であるため、正直苦労も多かったです。

         カードバトルは ” バトル・シティ編 ” で略 (ほぼ) やり尽くした感があったので、カードに描かれたモンスターがいかに誕生したか、古代に遡り、カードの起源となる石版に描かれた魔物の闘いなど、ビジュアル的に新しいものを取り入れたかったのです。

         そして何といっても古代エジプトの王 (ファラオ) であった闇遊戯の記憶。千年アイテムの謎。神官セトをはじめとする千年アイテム所持者達の様々な因果関係など。ファンの方が最も興味あるエピソードを描かなければ、作品を完結させる事はできないだろうと思っていました。

         カードバトルを期待して下さってる読者の方には、正直、受けないだろうと覚悟もしていました。

         ” 記憶編 ” を描くにあたって、ボクの中に浮かんだイメージは、砂に埋もれた王 (ファラオ) = 闇遊戯の亡骸でした。
         ” 記憶編 ” 始まりのカットは、見るも無惨な王 (ファラオ) の姿でいこうと決めていたのですが、やはりそれまで活躍してきた主人公が変わり果てた姿で登場させるのは暗すぎる、とゆうワケで、少年漫画らしく、若き日の双六を描くことにしました。
         ” 記憶編 ” は、全編を通して暗い話なので、ゾークとの闘いで命を散らせた王の姿は、最終話のシーンと対比して面白かったかなと今でも思っています。

         本当は、史実としての過去の出来事を描こうとも考えたのですが、やはり表遊戯や城之内達を登場させなければならないので、史実とは大きく異なる世界観= 「千年パズルが組み立てられ、現世に甦った魂が表遊戯と共存することによって生まれた新たなる記憶の世界」 という設定にしました。

         千年パズルの中で、 「悪」 として融合しようとするゾークの邪悪な魂を倒すには、王の失われた記憶と魂と共に、現世の仲間達の記憶と 「善」 なる魂の融合こそが鍵となるのです。

         仮に千年パズルを組み立てたのが、真に心の強さを持つ表遊戯でなかったら、その者は立ち所に 「悪」 に侵蝕され、バクラのようにゾーク復活のため、千年アイテムを狙う手駒にされていたでしょう。

         千年パズルに封印された、失われた王の魂を救い出せたのは、この世で只一人、武藤遊戯しかいなかったのです。

      平成二十年 2月15日 高橋和希


      20巻  回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回
         日頃の不摂生な生活がたたり、連載中に200ccの血を吐いてブッ倒れ、深夜、救急車で病院に担ぎ込まれた事がありました。

         たしか、クル・エルナ村での王率いる神官団とバクラの闘いを描いている頃だと記憶しています。ストレスによる胃潰瘍でした。

         医者の話では、当時のボクは普通の人の3分の2程度しか血液が無く、通常ではボーッとして立っていられない程だとの説明を受けました。そう言われてみると、たしかに絵を描きながら、ボーッとしていたのです。

         早速、入院三日目、見舞いの者に頼み、大量の焼き鳥のレバーを買ってきてもらい、深夜の病室で隠れて食べたりもしたおかげで、その後、元気を取り戻しすぐに退院する事ができたのです。

         しかし、救急車で運ばれた時は、もう死ぬかと覚悟した程でした。
         ボクの中で ” 王の記憶編 ” の構想は、かなり壮大なものだったのですが、その事がキッカケで 「物語を最後までキチンと描けるだろうか?完結させる前に死んだら困るしなぁ…」 などと不安になり、カードバトルを描いていた時より人気も落ちていた事もあり、編集の方に、あと半年で連載を終え、物語を完結させたいとお願いしたのです。

         やむを得ずカットしたエピソードでは、神官セトとキサラのくだりが今でも心残りです。読者の方の想像通り、現代の海馬瀬人と 「青龍の白龍」 との関係を語る上でも、とても重要なエピソードだったからです。

         千年眼の邪念によって、欲望と憎悪に支配されてしまったアクナディンが、白き龍を抽出するための拷問にかけるべくキサラを拉致するのですが、神官セトが王の忠誠に背き、キサラ救出に向かうのです。ここからアクナディンと神官セトの対立が激しくなり、ついにアクナディンの狂気が暴走し、ゾークを復活させ闇の契約を結んでしまうのです。そして、闇の大神官率いる死霊軍、王と神官団、白き龍の復讐を果たそうとする神官セトの三つ巴の戦争に発展していく構想だったのですが……最も短いエピソードに変更せざるを得なかったのです。

         しかし、連載当時のボクが、血液が足りず、いかにボーッとしていたかは、ゾークのデザインを見れば一目瞭然!真に狂気が暴走していたのはボクでした!なぁんて。

         文庫本では多少、修正をさせて頂きました。ご了承下さい。

         次回は 『遊☆戯☆王』 アニメの新シリーズについてお話したいと思います。

      平成二十年 2月15日 高橋和希


      21巻  回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回
         四月から 『遊☆戯☆王5D's』 というタイトルで、アニメの新シリーズが始まります。すでに雑誌の記事などで、御存じの方も多いと思います。
         一昨年の暮れに、制作側やスポンサーの方達に新シリーズの話を持ちかけられた時、「エーッ!まだやるの!!」 と仰天したのを覚えています。ボク自身はGXで最後だと決めていたので、正直しばらくは、かなり悩みました。しかし、制作スタッフやTV局の方など、付き合いも長く、すでに飲み仲間のような間柄だし、『遊☆戯☆王』 という作品はボク一人の力ではなく、メディアミックスという大勢の人達の力で世界に広まったわけです。そこで最後という条件付きで、新たなシリーズを企画する事にしました。
         やはりカードバトルがメインになるので、今までにないビジュアル表現はないものかと考えた末、舞台を近未来のドミノシティと設定し、「D・ホイール」 という最先端テクノロジーによって考案された新型デュエルディスクを登場させる事にしました。
         これまでのシリーズで描かれたデュエルとは違う、スピード感あふれるビジュアルと、新しい戦略性がプラスされたアニメーションになるのではと思っています。
         もはやカードゲームの域を超えてしまってるのではと批判もあると覚悟していますが、今までと同じ事を繰り返すのなら、新しいものを創る意味は無いと考えたのです。
         ボクなりに世界観を伝え、主な登場人物、モンスター、D・ホイールはデザインさせて頂きました。ストーリーの展開は脚本家の方達にお任せしているので、どのように話が進んでいくのか、ボクも毎週楽しみにしています。
         皆さんも楽しんでもらえる作品になると信じていますが、今はちょっとドキドキしています。
         是非、観てくださいね!

      平成二十年 3月18日 高橋和希



      22巻  回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回 回
         連載開始から十二年の歳月が過ぎ、今こうして22冊の文庫版を世に送り出す事ができ、正直ホッとするのと同時に一抹の寂しさも感じています。
         いろいろな世界に広がっていった作品ではありましたが、ボクにとっての 『遊☆戯☆王』 は、漫画で描かれた遊戯をはじめとする、あらゆるキャラクター達こそが全てだと考えています。今は、本を閉じ、彼らに心から 「お疲れさま。」 と云いたいです。
         カバーイラストは毎回描いていて楽しかったです。もう一度、命を吹き込むくらいの気持ちで描いたつもりです。
         そして何よりも、創造力の限界でもがき、あらゆる意味で至らない作者の描いた本作品に最後までお付き合い下さったファンの皆さまに、心から感謝の言葉を申し上げたいと思います。
         ありがとう!

         今はボク自身、いろいろやりたい事もありまして、それは漫画かも知れないし、イラストかも知れないし、とにかく一生、絵は描いていくつもりなので (というか、それしか取得がない!) またいつか皆さまとお目にかかれる日を願いつつ、精進して行きたいと思います。

         最後にこの場をお借りして、文庫版編集に尽力を注いで下さった現代書院の吉田さん、デザインを担当して頂いた阿部さんをはじめバナナグローブスタジオの皆さま、そして毎回のタロット解説で魂を削って下さったCoZoさんに、心よりお礼を申し上げたいと思います。

      平成二十年 3月18日 高橋和希




      和希の素・語録