遺跡馬鹿のイベント潜入記

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特別展「出雲-聖地の至宝-」

古事記1300年 出雲大社大遷宮
特別展「出雲-聖地の至宝-」
2012年10月10日(水)~11月25日(日)
東京国立博物館 本館特別5・4室

【出雲展公式サイト】http://izumo2012.jp/


出雲展出雲大社の敷地から発掘された大柱が来るというので、さっそく見に行って来ました。
写真で見るとそれほど大きくは感じなかったのですが、実物の存在感には圧倒されました。

今年は古事記が編纂されて1300年になるそうです。
会場には古事記写本と出雲風土記が展示されていましたが、これらが1300年前に書かれた物なのかと思うと改めてスゴイ事だなと思いました。
「頑張ればなんとか読める」というのも漢字の力ですね。

チケットの図案ですが、効果線のようにみえる物は銅剣です。
「たくさん出土したんですよ~」というアピールにも感じました。
実際、荒神谷遺跡からは42本の銅剣が出土したので、このアピールの方法は正しいと思います。

見終わった後、久しぶりに本館を周遊。
今、興味があるアイヌの文物がちょびっとだけ展示されているのを発見。
やはり生活用具が多いのですが、前から見たかった「イナウ(御幣みたいなもの)」が展示されていたので嬉しかったです。


銅戈と勾玉
出雲大社の後方にある社の大石の下から発掘された銅戈と勾玉が展示されていました。
西日本を代表する銅戈と東日本を代表する勾玉が同じ場所から出土しました。
これは弥生時代からこの地が重要な場所として認識されていた証拠でもあり、とてもワクワクします。


出雲展宇豆柱(鎌倉時代)
大きい木。それを3つも束ねて3mの直径を出すなんて…昔の人は無茶します。
柱を観察すると運ぶためのロープ通しの穴などがあったり、ノミの跡が残っていたりと、職人たちが木と格闘した跡が残っていました。
柱の近くから斧が発掘されていますが意外と小さく、当時の作業を想像するなら、彫刻刀で鎌倉の大仏を削り出すような作業をしていたのではないかと思いました。
こういう大きい柱を見ていると三内丸山遺跡の栗の巨木を思い出しますが、古代の人は縄文の昔から巨木の神秘と扱い方を心得ていたんでしょうね。

出雲展復元・出雲大社
高校生が作ったという復元・出雲大社が展示されていました。
とにかく長く天に伸びていく階段が印象的な社です。
不思議に思ったのは、どうしてこんなに高い建物を建てたのかということです。
神に近い場を得たいなら裏山に登って程良い山頂に社を建てれば良いと思うんですが、古代の人はそういうことはしなかったようです。
その場所から離れたくない理由が何かあるんでしょうね。
この地から弥生時代の剣や勾玉が出土しているので、長くこの地は聖なる場所としてあがめられていたことが分かります。
だから山頂に社を築くのではなく、この場所に壮大な高さを持つ社を建てたんでしょう。
この頃すでに風水の考え方も伝わっていたのかな…だとしたら面白いです。
だとすると、まさにこの宇豆柱のあった場所こそ、エネルギー放出の中心だということですね。
そうと分かれば私も現地に行ってこの柱跡に立って、吹き出すパワーを浴びてみたいです。


出雲展銅鐸と銅剣
2階の展示室には荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡から出土した銅鐸、銅剣、銅矛などが展示されていました。
数年前、東京で行われた銅鐸・銅剣展を見ていた私にとっては目新しさはありませんでしたが、復元されてぴかぴかと10円玉色に光る銅鐸と銅剣には衝撃を受けました。
当時の人たちにとって、この輝きは直視したら目がつぶれると言われても信じてしまいそうな美しさだと思います。
特に日の下では神々しいばかりの存在感だったでしょう。
あと気になったのは、最後の方に展示してあった「銅矛」です。
とても太くて重そうです。
昔の人はこんな矛を軽々と振り回していたのだとしたら、その腕力は相当でしょうね。
ムキムキマッチョな古代人を想像するのは楽しいです。


【おみやげコーナー】

出雲大社で売られている品々が来ていました。
銅剣と銅鐸の手ぬぐいとか、古代米のセットとか、面白いモノもありました。
ポチ袋(お年玉袋)が売れてました。
デザインが可愛いです。