遺跡馬鹿のイベント潜入記

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古代エジプト3000年の世界

ファイル 12-1.jpg World of Ancient Egypt - The Egyptian Antiquities in Japanese Collections
「死」と「再生」から「王権」と「神」 古代エジプト精神世界の旅


古代エジプト3000年の世界

古代オリエント博物館で開催 2005年3月27日~5月8日まで


▼展示開始からひと月近く経ったので観客はそれほど多くなく、一応、ゆったり見て回ることが出来ました…(なぜ一応なのかは下の方で説明)
あちこちの博物館から選りすぐった品々が展示してあったので、小粒ながら立派なモノが多かったです。

▼借りてきた展示品は、その親博物館であつらえた「オリジナル台座付き」で上京しているモノが多く、台座に注目して見て回ると面白い感じでした。


■今回の入り口は…


正面には大きな『ミイラ棺』が展示されていました。
その立派さに足を止め、じっくりと見ていたオジサンがいました。
立たせて展示してあったため、自分の背と比べてみたりして、大きさを実感しました。
ただプトレマオス朝のモノにしては模様が不鮮明だったのが残念。

タイトルが貼ってあった壁はピラミッドの石組みをモチーフにしてあったのですが、地味すぎ、位置悪すぎで、誰も注目していなかったです。残念です。

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ファイル 12-2.gif★Ⅰ-1 死

お墓の中に死者と一緒に埋葬されたモノを展示していました。

絵はその面白かったモノを描いてみました。
◆大きな人型棺(上だけ)。その頭の大きさに驚きました。
◆イシス女神がコブラになっている(664BC~30BC)…ちょっと珍しかったです。
◆星形のヒエログリフ…”ヒトデ????”
◆首がもげそうなほどの高さを持つ木製マクラ…ミイラ用だけどこれじゃ首が折れちゃうよ!

★ジョセル王の壁面装飾タイル

古王国時代 2,686BC~218BC ファイアンス製

あの階段ピラミッドの最奥部に眠る神秘のタイルがなぜ展示されているの!?
驚きました。それもけっこうな数がある。
前から気になっていたので本物を拝見でき、とても嬉しいです。
そして思っていた以上の美しさでした。まるで本当の宝石のようでした。

★嘆きのポーズをとる女神像

プトレマイオス朝 331BC~30
イシス女神かネフティス女神を表しているそうですが、そんなことが気になったのではなく、この女神像…ものすごく巨乳です…(^_^;)
こんな大きくて美しい形のお乳を持つ女神像は見たことがなかったので、「オゥ!ヤー!!」とか言いながら、鑑賞させていただきました。


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★Ⅰ-2 再生(豊穣)

日用雑貨の展示品が多かったです。
ファイアンス製といえば「青カバ」。
ぷっくりとした鼻がとっても可愛かったです。
胴体には水鳥が勢いのない線で描かれていました。
ファイアンス製の絵は肩に力が入っていないモノの方が味わい深いです。

動物の彫刻では、トビに姿を変えたイシスとネフティス女神が愛らしくて、お持ち帰りしたかったです。
しかし女神も蛇になったり鳥になったりと、千変万化で忙しそうです。


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★Ⅱ-1 王権

王の偉業をたたえる壁画や像などがありました。

★アクエンアテン王浮彫り
アマルナ時代 個人蔵
大きさにまずビックリ。個人でこんな素敵なアクエンアテン像を持っているなんて…羨ましい!
浮彫りの技術も丁寧で、見応えありました。

★ガラス製の壺…数点
新王国時代
ミタンニ国から技術が伝えられたガラス製品。こってりとした色使いが本当に美しいです。

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ファイル 12-3.gif★Ⅱ-2 神

いろんな姿をした神像が並び、まるで動物園のようです。その中で、神ではなく、『精霊像』がこっそり加わっていたのが気になりました。
絵は新王国時代(1,550BC~1069年)に作られた『魔物』の像です。
ウサギのような耳が印象的でした。


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★その他

「エジプト体験コーナー」が展示会場の一角にありました。
私が覗いた時は女の子たちがワイワイとファラオの衣装を着て写真を撮ってました。
後から来たおばさんたちも衣装を着てみたい感じだったのに、次から次へと衣装替えして写真を撮り、場を独占する女の子達に諦めたのか、その場をくやしそうに去っていきました。
「ひとり一着。一回まで」と壁に貼った方が良かったんじゃないかと思いました。
騒ぐ声も大きくて、ちょっと(´Д`) ハゥーになりました。


★香りを体験しよう!の企画が面白かったです!

軟膏キフィ←クレオパトラが好んだ香りだそうです。
没薬、肉桂(シナモン)、レモングラスをまぜた香り←ハッキリ言うとロバの糞くさい

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ファイル 12-4.jpg★★おみやげチェック★★


←バフール(香料玉)

1個130円-博物館併設のミヤゲ屋で売ってます。

バハレーンのおばあちゃんがコネコネして作っているそうです。
これは「伽羅」で、他には木イチゴ、白檀、薔薇があります。

一番、ミイラ臭いモノが欲しかったので、「没薬入り」の「伽羅」を買ってみました。
本来は炭の上にパラっと置いて焚くのですが、部屋に置いておくだけでも香りがします。
博物館の入り口で、「買い物だけしたい」と言えば中に入れてもらえるので興味のある方は是非どうぞ!

新・シルクロード展

the SilkRoad
幻の都 楼蘭から永遠の都 西安へ

新 シルクロード展

江戸東京博物館で開催 2005年4月16日~7月3日まで


▼NHKで絶賛放送中なので、初日から混雑しているんだろうなぁ~なんて思いつつ午前中に到着。
入場券を購入していざ入ってみると、あれ…人が少ない!?
ちょっとスカスカな入場者数でしたが、ゆったりと展示物を見られたのはラッキー!
でも午後を回った辺りから混みだしてきたので、人の出足は上野と違うようです。

▼今回のテーマは新しく発掘された遺跡の品々がメインなので、ものすごいお宝はないけれど、どれもこれも新鮮&新奇なデザインのモノが多く、興奮しながら展示物を見回ったのは私にとっても久々でした。

■多くが新しい遺跡ばかりという事で、各遺跡の紹介と写真はとっても分かりやすかったです。
解説文もちょっと長めかな~と思いつつ、親しみを込めた文章は好感度高かったです。


■今回の入り口は…

入口正面には赤い砂漠を進むラクダの隊列写真!
そしてその写真の前に透けた布をのれんのように下ろしていました。
のれんには4つのテーマを代表するような写真が印刷されていました。
割とよくある演出ですが、イヤミがなくて良い感じでした。


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Ⅰ楼蘭(古名-クロライナ)

★『木製・人物像(№6)』紀元前2000~1000年(小河墓地遺跡)
とにかく一番印象的な展示物でした!もう鳥肌が立つほどのインパクトでした。
見た目は3m近い長身の木製・人型像が寝ているだけなんですが、その木肌がすっごい事になっていて、自然が作り出した前衛芸術作品みたいでした。
どう木肌がすごくなっているかというと、風と乾燥が木肌を繊維のところでささくれ立たせ、全身がガサガサのスカスカのハネハネの切り傷だらけみたいで、痛々しさを感じさせるほどでした。
私だけがこんなにチキン肌になっているのかと思ったら、どこぞのおばあさんがスケッチを描いていました。


ファイル 13-1.gif ★木製ミイラ(小河墓地遺跡)

珍しかった~! 木のミイラなのに可愛い帽子や靴まで履いていました。
副葬品にはこれまた植物の茎を織り込んだ籠がついていて、本当に人間のような扱いをされていました。
この人形がここに収められた背景を観客達もあれこれ推理していましたが、埋葬する側の気持ちが籠もっていて、みんなの胸を打っていたようです。
もちろん私も…。

★その他
ここのコーナーは布の展示が多かったです。


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ファイル 13-2.gif Ⅱタクラマカン

★嬰児のミイラ 紀元前500年~紀元前300年頃(ザーホンルック遺跡)

鼻の穴が大きいんじゃなくて、詰め物をしているんです。
とっても小さいミイラで、生後8ヶ月~1歳くらいらしいです。
とても丁寧に埋葬されていたみたいで、パッと見ただけでは普通に眠っているようにしか見えませんでした。
頭に被っている青の帽子はフエルトで、ちょろりと見えている金髪の前髪がその青さと良く合っていました。
白人系の人々がこの地に住んでいたらしいので、この子も色白金髪の可愛い子だったんでしょうね。
枕も当時のモノで、本当に眠っているようでした。

★ダンダンウィリク遺跡の壁画群(唐時代)
テレビでやっていた、「西域のモナリザ」はここに展示されていました。
特徴的な丸顔に切れ長の目。
モナリザっていうと女性だけどこれは如来様なので、私としてはその呼び方には違和感を覚えますが、でも壁画に描かれた如来様の妖艶な瞳にはちょっとドキドキ★です。

ここの解説文も丁寧で、「屈鉄線」がいかに優美であるかを解説板が語ってました。
揺らぎがなく、同じ太さで線を引く当時の職人技に痺れました!


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Ⅲ天山南路

ミイラが身につけていた装束も素晴らしいですが、横のガラスケースに収められていた副葬品の食材(子羊のミイラ)が個人的には気に入ってます。
とっても可愛く干からびています。


Ⅳ天山北路とトルファン

アスターナ古墳群から出土した文物が並んでいました。
美しい青さを保ったままの靴が印象的でした。
十二支俑はお年寄りに大人気でガラスケースの前がガラ空きになることがありませんでした。
人気の原因はリアルな鶏頭の俑みたいです。


Ⅴ西安 永遠の都

壁画や唐時代の美人俑などが展示されていました。
西安の壁画は「馬」系が有名なんですが、ここに展示されている世界初公開の『献馬図』は力強いタッチで、本当に素晴らしかったです。
嫌がる馬の顔も良いし、その馬を押さえつける馬使人の怖い顔も味がありました。
見ていて笑いが出てしまうような絵でした。


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ファイル 13-3.gif★★おみやげ&レストラン・チェック★★


お土産系は全滅!
相変わらず手ぶらで帰宅しました…(/_;)メソメソ!

しか~し! 今回はレストランの企画メニューに挑戦しました!
レストラン名は「レストラン・モア」
料理の説明を書いたペーパーをくれます! (゚∀゚)ノ

カメラを忘れたので、ヘボ絵で紹介です。
値段は1500円。分量は少ない!
でもシルクロードを旅したことのある人間なら涙を流しながら食べてしまうであろう味でした。
美味しいかどうかは聞かないで…(^_^;)
でもヒツジ肉はやわらかく、ラグメンも現地の味に近かったです。
お茶がジャスミン茶だったのが残念!
やっぱりここは氷砂糖なども入っていると現地っぽいかと思います。

【シルクロード展特別メニュー】
■ラグメン(スープパスタ)
■カワプ(羊の串焼き)
■ハムサイ(トマト・キュウリ・タマネギのサラダ)
■ポロ(ピラフ)
■ミツチワ(ドライフルーツのヨーグルトかけ)
■お茶

大兵馬俑展

ファイル 15-1.jpg -今、甦る始皇帝の兵士たち-

大兵馬俑展

上野の森美術館で開催 2004年9月25日~2005年1月3日まで


▼入り口に記念撮影用の兵馬俑が立っていて、並んで写真を撮る人が続出!
皆、意外とこういう趣向が好きなんだな~と思いました。
まぁレプリカにしては良く出来ているので、何も知らない人が見たら”本物と並んで撮った”と思うだろうな。

初めてこの美術館に入ったのですが、とにかく玄関から展示入り口までの距離が短くて、なんだか落ち着かなかった…(-_-;)
玄関から5歩で展示入り口なのだよ…。
いつもは置いてある椅子にでも座って見学準備するんだけど、そんなモノはないし、仕方なく立ったままゴソゴソとカバンを漁ってメモやらペンやら取り出しました。
もう気分的に落ち着かない!
印象としてはとにかく狭い! 大きな会場に慣れた身には辛かった…。


【文句1-プレートの字が小さすぎる】


とにかく字が小さい! 豆粒のような文字でしたよ(-_-;)
そしてプレートが展示物の前に置いてあるので、客が文字を読むために腰をかがめ、顔を寄せるので、横や後から展示物を見たくても見ることが出来ない…。
仕方ないので、ちゃんと見たい客が列を作ってた…。
お陰で、ただでさえ狭い会場のアチコチに行列が…。
こういう物は3倍くらいの大きさにして壁に貼っとけば良いんだよ。そうすれば混雑解消! 
っつーか、展示する側は客の利益を第一に考えてデザインして欲しいよ。
あのプレート作った人は視力が良いんだろうな…。
まったく、独り善がりな展示方法ほどウザイモノはないと思いました。

【文句2-係員について】


上記で書いた原因によって、会場内に列が出来た。
でもそれを係員が誘導しないので割り込む人も続出!
それを怒って文句言う人もいた。
だが列が通路をふさいだりして混雑していても係員はなぁ~んにもしていなかった。
ガードマンはいるけどあの人たちは不審者を見張るのが仕事。
本来は係員の仕事だよ、列整理は…。
その割にはちょっと柵に手を置いただけですっ飛んでくるんだもの…。
特に1階のビデオ前と2階! 混雑じゃなくて”混乱”していたぞ。

【主催挨拶】

本展覧会を通じて中国の悠久の歴史と文化への理解が深まり、日中両国の友好促進に寄与することを願っております。

【鶴間先生の展覧会の見どころ】

大兵馬俑展の一つ一つの展示品から地下に眠る始皇帝にも想いをよせてみよう。


馬の前髪が特徴


Ⅰ.秦兵馬俑-永遠の都を守る地下の兵士


ファイル 15-2.gif ★発見された経緯★

1974年春、始皇帝陵から東に1.5km離れた所で見つかった。
井戸を掘ろうとしていた農民が見つけた。
今から2千200年前の遺跡。


■手ブレのヒドイ8ミリ映画の前を通り過ぎると大きなフロアーが登場!
そこに目当ての兵馬俑たちが展示されている。


★鞍馬:「一級文物」 340kg 174cm
★騎兵俑:186kg 184cm


第一印象は「見事な灰色!」
そして「デカイ!!」

この騎馬兵を横から見ると身体の芯がまっすぐで気持ちがよいくらい伸びた姿勢。
この姿からこの人物の実直な性格さえ感じられた。
デカイ馬も立派。表記によると340kgだそうです。
これって焼いた後の重さだから水分を含んだ粘土の時はどれくらいの重さだったのかな…
想像すると恐ろしくなりました…(^_^;)
どの兵馬俑にも言えるけど、これだけの粘土を成形し焼くって大変なことだと思う。
当時の技術に脱帽です。


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ファイル 15-3.gif 凝った趣向は気に入りました ★この企画の目玉! 兵馬俑群


坑を再現した展示はあるだろうな~と思っていたが、実際に見せられるとちょっと嬉しい(*^_^*)。
俑を同じ高さで見ることはあまりない事なのでちょっとドキドキ★
部屋自体が広く場所を作ってあるので、客も思い思いの場所でじっくりと観察しているみたい。
まぁ…兵馬俑の足下が土と言うのが少々興醒めだが仕方ないよね。(本来はレンガ)

一番手前の将軍俑は197cm、250kgで、かなり重くて大きい!
さすが将軍様なのだ!
兵馬俑群の展示通路は少し高くなっていて、最初は単に上から見下ろすだけの機能しかないのかと思っていたら、なんと!発掘当時の様子を再現したモノを埋め込んであった!
凝った演出にこんな顔になりました→(*´д`*)素敵!
破片の厚さにもビックリ!
ここには馬も並んでいるんですが、向かって右側の馬はちょっと愛嬌がある。

Ⅱ.秦始皇帝陵園-永遠の都の偉容


■あれもこれも陶製!


ここでは陶製の品物がちょこっと展示してありました。

兵馬俑の足下に敷かれていた「焼きレンガ」は重さが13.2kgで、厚さ9.2cm。
こんな大きさのレンガを一体いくつ焼いたのかな…。
水道管も展示してあったのですがこれも陶製…。
これだけなんでも粘土で作るのだから、さぞ食器は華麗で細工の細かいものを使っていたんだろうな…なんて思うんですが、展示してあるものはどれも質素で無駄がない。
それはそれで素晴らしいけど。


★青銅認版

度量衡を統一しなさいという詔(みことのり)が書かれている文字資料。
BC221のモノだが教科書で習った法令がこれに書いてあったのか…と思うと感動。


この展示会の超目玉-文官像


肌がほんのりピンク色
独特な表情が良い! まさに「憂いを帯びた青年文官」っつー感じ。
妙な色気を口元から発しているような気もします。
よく観察すると眉根が少し盛り上がっているのが表情を豊かにしている要因かもしれない。
右斜めから見る顔が素敵なのに、チケットや絵はがきでは”荒れた肌”の方を撮している。
どうしてかな~。美しすぎる顔では不都合なのだろうか…。


Ⅲ.秦の兵器-永遠の都を守る武器


ここでは戈とか剣とかが展示されていました。
解説版がちょっと専門過ぎて、読んでいても楽しくありませんでした。
金石文が重要だということは分かりますが、難しい漢字ばかりで眼がすべりました。


Ⅳ.秦の祭器-始皇帝の鬼神を祭る


青銅車の複製が部屋の真ん中にドン★と置いてありました。
そのまわりを観客が囲むように見学!
小さなライトが車内についているので、中の様子も分かりやすかったです。
この部屋にはその他、青銅製の壺や装身具などが展示されていました。

この部屋で展示は終わり! 
「えっ!? これだけ???」って思う人も多かったんじゃないかな…。

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★★おみやげチェック★★


兵馬俑グッズの中に、何故か『三星堆の青銅像』グッズが紛れ込んでました…(^_^;)
間違って買う人はいないと思うけど、どれもこれも値段が高かったです。
絵はがきも100円を超えてました…。どう考えたって高すぎです。
気軽に買える値段のモノも用意して欲しいなぁ~。変なクッキーとかいらないからさ…。
幸運グッズや石など中国物産展でも買えそうな品が場を占拠していて、あまりお宝は見つけられませんでした。
残念。売り場も狭かったし…。

砂漠の王国-ヨルダン展

ファイル 16-1.jpg ~知られざるアラブ世界 8000年の文化遺産~

砂漠の王国-ヨルダン展


世田谷美術館で開催 2004年9月18日~11月7日まで


▼久しぶりの世田谷美術館…9月20日の敬老の日に行きましたが、それほど混んでいなかったので、ゆっくりと堪能することが出来ました。

▼今回は彫像の展示物もあるので、ボールペン使用は不可でした。
代わりに渡されたエンピツは手頃な長さで好感持てました。
(ちゃんと削って芯も尖っていたよ!(゚∀゚)ノ)
ただ、もうちょっと芯の硬度を上げてもいいんじゃないでしょうか…。
メモっているうちに先がすぐ丸くなったのには閉口しました。


■入り口のほぉぉぉ~


チケットを切ってもらい、なにやら薄暗い通路を歩かされる…。
「ずいぶんと奥まった所に展示室があるんだな…」なんてノンキに考えていると、突然、薔薇の宝殿が目に飛び込んできてビックリ!!
「ああぁ…これってシーク(岩の裂け目の道)を再現していたのか!!」と感嘆!!

なかなか凝った演出だけど、やはり通路に入る前に、このセットがペトラのシークを再現したモノだという説明位はあった方が良かったと思いました。
実際、数人のお客の動向をチェックしていたけど、誰もこの素敵なセットに気がついていなかったし…(^_^;)
遺跡を訪れたことのある人やめざとい人には好評だろうけど、このままでは一般のお客さん無視だよな…。
セットの色(淡い薔薇色)などすごくこだわりを感じたけど、内輪受けではダメダメ。
一般の人もこのセットの楽しさを共に楽しんでこそ、作った意味も出てくると思う。


■ヨルダン国王のご挨拶

このたび、日本とヨルダン・ハシェミット王国との国交樹立50周年を記念し、『砂漠の王国-ヨルダン展』を開催することになりました…


★展示の内容自体は広く・浅く。
でも地域限定ネタも多いので、興味のある人にとっては、石片1個でも嬉しく感じると思います。


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ファイル 16-2.gif ★旧石器時代

50万年前の大地-ヨルダン:狩猟・採集民の足跡
←(細石器:約50万年~1万年前)

ハンドアックス→ホモ・エレクトゥス(原人)が使っていたそうだ。

【細石器】→この小さな石片が当時の人にとっては万能の道具だったそうだ。
確かに持ち運びに便利で、切れ味も良さそう!
狩猟で生きていた人たちにとっては、大きな石器よりこんな小さなモノの方が便利なんだろうな~。
道具もこんな風に進化していくんだ…と説明を読みながら思いました。

この展示会は説明板が物の前に置いてあるので、スゴク良心的でした。
説明文も気が利いていて、分かりやすかった! 満点!!


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★新石器時代

紀元前8,300~4,500年:集落の暮らしと祈り
農耕・牧畜が始まる


この時代は万能具として大流行した細石器から特化した石器へと流行が移った時代だそうです。
その理由は人が定住するようになったので、ちょっと使い難い万能具より使いやすく、機能重視の石器に人気が出始めたからです。
その当時の【日干しレンガ】が展示してあったのには驚き!
世界最古…そう書いてありました…(^_^;)スゲー!

日干し煉瓦:イェリコ出土


★ プラスター骸骨

人骨が展示されていましたぁ~(*^_^*)
でもなんか気持ち悪い顔なんで、「???」と思ったら、なんと骸骨に漆喰を塗って、生前の顔を復元しているんだそうです…。


【説明板】-紀元前7,000~6,000年にかけて、石灰プラスター(しっくいの一種)を用い、死者の顔面を復元するという奇妙な風習が広がった。

下アゴを外し、全体を復元しているので寸詰まりの出来!
可愛いと言えるかもしれないが、でも夜には見たくない…。


ファイル 16-3.gif アインガザルの胸像 ★ アインガザルの胸像(石灰製)

廃屋の下から25体の像が出土
年代は、先土器~新石器時代B中期:紀元前7,300年~紀元前6,500年

これくらい古くて、こんな形の胸像は珍しかったので、絵葉書まで買ってしまいました…(^_^;)。
古いのにこれは割と保存状態が良かったのですが、頭が2体ある像(チケットの写真)は復元の部分が多くちょっと興ざめでした。

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銅石器時代


紀元前4,500年~紀元前3,500年
農耕社会からの発展、壁画からオリーブまで


『銅石器』という言葉になんとなく魅力を感じました。
「トゥレイラート・エル・ガスル」という遺跡が大集落遺跡として紹介されていたのですが、展示物が4点のみというのはちょっと寂しい…。
案内版に「都市文明成立の鍵」と書いてあったけど、たった4点でそれを理解しろというのは無理な話だよな…。


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青銅器時代


紀元前3,500年~紀元前1,200年
エジプト・シリア・ギリシャ-環地中海域との交流盛んに


★ ひつじの毛刈り用の石器が興味深かった!(3,500~2,000BC)


★ 中期青銅器時代の「チョコレート・オン・ホワイト」の土器は格別に美しいです。
ろくろ成形。胎土に白の化粧を施してある。
なにしろ他の土器が素っ気ないモノばかりなので、白い色が暖かささえ感じさせます。

その他、ミケーネ、キプロスの遺物やエジプトのスカラベなどが交流の証として展示。


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鉄器時代


紀元前1200年~紀元前332年
都市から”王国”へ-旧約聖書の中のヨルダン


★ ここでの目玉! 騎馬人物土偶(紀元前700~550年)!
この像を良く見ると、鐙(あぶみ)を使わず馬に乗っていることが確認できます。
当時はまだ鐙を使わず、手綱だけで馬を操っていたんですね。
それと大きな展示物は、人型陶棺が目立っていました。


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ファイル 16-4.gif ヘレニズム・ナバテア時代


紀元前332年~紀元前63年
ヘレニズムの波 デカポリス(十都市同盟)のヨルダン


ギリシャ系の土器など多数展示されていました。結構美品揃い!
↑(薔薇の宝殿の壁の模様を再現しました)

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ナバテア・ローマ時代

紀元前63~紀元後324年
ペトラの繁栄・ローマの栄光-アラビアと地中海の結合


ペトラ遺跡は有名だけど、あまりめぼしい出土物がないので、展示物は少な目。
見慣れた「アンフォラの壺」にさえ時間を割いて、ゆっくり見てしまったほど!
個人的に欲しいなぁ~と思ったのは、「ガラス」です。
透明な青が美しい!隣に並んでいた銀化したガラスも形が良かったです。←ローマン・グラスマニア(゚∀゚)ノ

★ 子供の石棺→綺麗に描かれた同心円に一目惚れ!


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ビザンツ時代

324年~636年
ビザンツの静寂


★ 見どころ:教会とモザイクの町-マダバとジェラシュのモザイク陳列


マダバ…行きましたよ。マダバ…。小さな…本当に小さな村でした。
世界最古の地図があるという教会を訪ねて行ったのですが、なぜか管理人が外出中!
時間つぶしのために近くの小学校で子供たちに遊んでもらったのが懐かしいです。

教会の外観は新しかったのですが、目玉の地図はさりげなく教会の床に残っていました。柵もなく、間近でゆっくり見ることができました。
この町には小さなモザイク博物館があり、そこでも古いモザイクを見学できます。


★ ジュラシュ遺跡…なんか入口を探してウロウロしていたら、中に入っていました…(^_^;)

ここは本当に大きな遺跡なので、モザイクの残る床などが柵もなく野ざらしになっていました。
シリアの遺跡はどこも列柱が有名なのですが、ここも本当に素晴らしい列柱が残ってました。

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初期イスラーム・ウマイヤ朝時代


636年~750年
イスラームの台頭-「アル・ウルドゥン(ヨルダン河以東の地)」の形成


あんまり印象に残るモノがなかったです。


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ドルメン
「エッ・ダーミアed-Damieh」

資料の展示はなかったのですが、販売されていた図録に紹介されていました。
ただ旅行者が気軽に見学できるような場所ではないようなので、よけいに気になってしまいました(*^_^*)


【図録より】
ドルメンの密集地帯。年代は銅石器時代~前期青銅器時代と考えられてる。現地での見学はやや難しいが、そのうち数基がヨルダン大学考古学博物館の前庭に移転復元されている。

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★★おみやげチェック★★


すべてが非常に高い!! 世の相場を鼻で笑うような値段設定。

クリアファイル-450円
テラコッタマグネット-900円
携帯用鏡-1000円

図録は2000円。写真豊富で情報豊富! これから行こうと思っている人にはお勧め。

トルコ三大文明展

ファイル 21-1.jpg Three Great Civilizations in Turkey
ヒッタイト帝国/ビザンツ帝国/オスマン帝国

トルコ三大文明展

東京都美術館で開催 2003年8月2日~9月28日まで


▼今年は「2003年日本におけるトルコ年」なんだそうです…。
って…「トルコ年ってどんな意味?」と思って調べてみたら、国をあげて、この一年はトルコを日本に宣伝しよう!! ってことらしいです。そんなことしなくても、十分、トルコは人気のある国ですけどね…(*^_^*)

▼今展示の目玉と言えば、大きなエメラルドが3つもついた『トプカプの至宝…エメラルドの短剣』が本邦初公開ということです。
そのまぶしさを伝えるため、ちょっと絵を描いてみましたが、本当に豪華な短剣です。
っつーか、このデカいエメラルドを前にして、一歩も引かない宝石職人の肝っ玉にも敬服です。
柄の上部には時計も組み込まれています。
本当に手の込んだ一品ですが、これを他国にやるために作らせたスルタンの太っ腹にも驚きます。
スルタンって生まれながらに金の使い道を極めていますねぇ~(*^_^*)

中央の果物カゴも華やかで美しいモノです。

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ファイル 21-2.jpg ★気合いの入った正面デザイン!
(でも誰も気がつかない…(^_^;))

入口ってすごく大切だと思うんです。

展示に対するスタッフの意気込みは入り口を見ればだいたい分かります。
今回は図に描いた「円盤」です。
近寄らないと分からないのですが、一番外側はくさび形文字です。
これはその中でもヒッタイト語の文字から取ったのだと思います。

次は金色で描かれたキリスト教関係者…ビザンチン様式の絵です。

一番内側は、イスラムをあらわしたアラベスク模様。

つまりこの円盤一つでトルコの文化をドーン★と表現しているんです。

でも誰も気がつかない…。立ち止まって見ている人がいない!
まぁ仕方ないよね…。でもこんなトリック絵のような看板を入り口に置く趣味は良いと思う。
トルコは不思議と文化の融合が少なくて、ヒッタイト、ビザンツ、オスマンとスパパパパっと切り分けられるから、円盤型でもOK。
これが複雑に入り組んだ南米アメリカ文化とか、横に長いだけのエジプトだと使えない手法。


まぁ、全体を通して言えば、予算が少なかったのか、「展示方法が貧弱だった」


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ファイル 21-3.jpg 第一章 ヒッタイト帝国


■入り口にライオン門の写真を貼って作られたゲート。
よく見ると、左右のライオンが違う。
ちゃんと右は右のライオン、左は左のライオンの写真になっている。妙なこだわりに座布団一枚!

◆アッシリア人居留地時代(BC20~18)

アッシリア人を通じてメソポタミアやシリアの文物がアナトリアにもたらされた。


★ 見所

○粘土板文書(書簡)(BC18世紀)-表面が磨き上げられている美品
○尖筆(せんひつ)(ヒッタイト新王国時代)鋳造製-くさび形文字を刻んだ道具

メソポタミアの文字を取り入れながら、ヒッタイト語を作り出した彼ら…。
漢字を取り入れ、日本語を生み出した我らの先祖と似ています。
後半にタップリとくさび形文字の刻まれた石板が出てきますが、愛着が湧きました(*^_^*)

○鋳型-凍石製

ピシっとまっすぐな線が美しい鋳型を見ると、”さすが鉄のヒッタイト!!」という感じがします。
頑固な職人気質を感じます。

◆ヒッタイト王国時代 BC17後半~12


★ 見所


両脇に小物を並べ、中央に大きめの石像が配置されています。
これらの小物はそれほど見応えはないですが、銀の食器や土器で作られた可愛い動物などは個人的に好み。


○くさび形銘文付き剣-すっと伸びた形に勢いがあり美しく感じました。


○王の姿が彫られた石像

中央の石像には王の印影が分かりやすく彫り込まれているので見つけやすいです。
ヒッタイト人特有のウ○コ帽(角冠)は神性を示しているんだそうです。(*^_^*)


★ ここの見所-ヒッタイトのくさび形文字と象形文字。


ヒッタイトの人々は上記に書いたように、メソポタミアからくさび形文字を導入し、自らの記録を自らの言語(アナトリア固有)で書き残しました。
その使用は、人名、神名、称号、役職を表記するのに用いられたそうです。


個人的に「おおぉ~!!」と踊ってしまったのが、No62-粘土板文書(歴史文書)です。
これは、ヒッタイト王国のムルシリ2世が父シュッピルリウマ1世の治績を記録した文書です。

★★内容★★

ニプフルリヤ(ツタンカーメン)が亡くなったので、ダハムンズであったエジプトの王妃は我が父(シュッピルリウマ)に使いをよこした。
臣下から夫を選びたくないので、ヒッタイトの皇子を夫として迎えたい…


ツタンカーメンの妻、アンケセナーメが宰相アイとの結婚を逃れるためにとった奇策がこの石板の存在で明らかになりました。
ただれた古代エジプトの王位争いのきな臭さが漂ってくる一品です。
私としては感動的な対面だったりします。


◆後期ヒッタイト BC12~8,7世紀


★ 見所


アラジャホユック遺跡には行ったことがないのですが、何度か写真は見ています。
今回、驚いたのは ”アラジャホユックのスフィンクス門” の向こうに人家が見えること…。

荒涼とした風景にスフィンクス門がぴったりだったのに…ちょっと悲しくなりました。


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◆第二章 ビザンツ帝国


★ 見所

彫刻群の展示は2階までの吹き抜け構造を巧みに取り入れた空間演出でなかなか良かったです。
まぁ、難を言えば展示されていた大理石像が薄汚れていた。
出土物だから仕方ないけどね…。


●「アルテミス像」は金の縁取りがついた ”ついたて” の前にちょこんと展示されていました。
これはエフェソス博物館から出品されたモノで、現地で見た時は感動したモノです。
こうやって改めてみると不思議な存在感がありますねぇ。
「豊穣と多産」を祈願したモノなので、”おっぱい”がたくさん付いているのですが、それがちっともエッチィ感じがしない。
おそらく少女のような体型がエロスの部分をうち消すからだろうけど…。
でも少女が好きな人には別の意味でエロス・ムンムンかな。(^_^;)。


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ファイル 21-4.jpg ◆第三章 オスマン帝国


★ 見所


とにかく宝飾品をご覧下さい。
その豪華さの前では言葉を失います(*^_^*)


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★★おみやげチェック★★


今回は買う物がありませんでした。(T_T)
絵はがきも欲しい絵柄じゃなかったし…。
ライオン門やスフィンクス門が写っている遺跡の写真の絵はがきなんかがあったら良いのに…と思いました。
でも人家が写っているなら嫌だな…(-_-;)

巨大な”しおり”も売ってました(笑)。もうこのような”非実用的”なモノはなくなったと思っていたのに…。

それでも多くの人々が何かを買っていました。盛況でした(^_^)v

神秘の王朝-マヤ文明展

ファイル 22-1.jpg MAYA Kingdom of Mystery

神秘の王朝-マヤ文明展

国立科学博物館で開催 2003年3月18日~5月18日まで


▼マヤ遺跡といえば「メキシコ・グァテマラ」ですが、今回はホンジュラスの国立人類学歴史学研究所研究員である『中村誠一先生』が中心となって、「今までとはひと味違うマヤ展」を開催していました。
▼副題には「神秘の王朝」とありますが、展示の中心は「マヤ文明の実像に迫る」という意図がはっきりと打ち出されていて、とても小気味よい展示会になっています。
▼辛い点をつける私ですが、今回は文句無しに「星3つ★★★」でした。

ちらしより:

マヤ文字は解読され、謎だらけだったマヤ文明の全貌が、今、明らかになりつつあります。

チラシを読むと、現在、マヤ文字の8割が解読済みだそうです…いつの間に…。
今まで分からなかった王の名前もみんな解読されていて、いろんな意味で新鮮な驚きに満ちた展示会でした。


ファイル 22-2.jpg ★入口からしてステキ

入口の演出がすごく凝ってました。
白黒の遺跡写真の前に、樹木をプリントしたオブジェを立たせ、入口から展示室までの通路をあたかもジャングルのように演出しているのです。
その遊び心に感嘆しましたね。
突き当たりで私達を待つタイトルパネルも泣かせるデザインとなってます。

エントランス部分をちょっと遊ぶだけでも、訪れる人にとっては展示への感心が増すものです。
ついでを言えば、鳥のさえずりやホエ猿の声も効果的に使うと、さらに良かったんじゃないかと思いました。


主催のご挨拶

従来の謎とロマンのマヤ文明像ではなく、新しく解明されたマヤ文明像をお見せいたします。
「マヤ文明発見の旅をお楽しみいただければ幸いです」


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第一部 よみがえるマヤ王朝

■ホールを円形にして、床に6大文明の世界地図を配置。
壁に貼られたパネルの一つ一つが古色然とした色、デザインになっていてとてもステキでした。

★ 見所

○マチュキラ石碑3号-石灰岩(815年)

最初に遭遇するマヤの石碑! かなりのインパクトがありました。
他の人も「ほえぇぇ~」と、驚きの声を上げてましたね。
そして今回、石碑に彫られたマヤ文字が読めるようにと丁寧な解説パネルも掲示されているので、私のような初心者でも「フムフム」と、石碑に何が書いてあるのか分かるようになってます。
ある意味、すごいことですよねぇ。これって…。
「ただ見るだけではなく、一緒に謎を解きましょう」という主催者の気持ちも伝わります。


◆貴族の日常

★ ここでは貴族が普段使う道具などが展示されていました。


ファイル 22-3.jpg■ちょっとすごかった品物

★右図の「カカオの神」--全身にぼつぼつとカカオが…。鳥肌ですよぉ

★No.26-カカオ用の多彩色の円形型壺--容器上部にわざわざ『カカオ用』と書いてあるんだって。
当時は専用容器で飲むほど、貴重品だったんですねぇ。


ファイル 22-4.jpg ◆美と知識の想像と体現

★ ここでは当時の書記が芸術、文化の先頭を走っていたという検証をやってました。


■ちょっと気になった品物

★樹脂の残骸が残っていたという大壺-『コパル』という樹脂の残骸が残っていたそうです。

エジプトのミイラに使われていた香料を調べる関係で、最近、香りに興味を持っているので、マヤの「コパル」という樹脂の存在がメチャクチャ気になります。


コパル

メキシコ産の針葉樹の樹脂。琥珀に似ているそうです。
色は白っぽい感じ。これを香として焚いたりしたそうです。

★No.52ピエドラス・ネグラスのパネル--石器で彫られたわりには線がするどいです。
少し離れたトコロにあるガラスケースの中に、彫刻用の石斧も展示してあるので、忘れずに見ておいてくださいね。
「こんな道具しかないのにあれだけのモノを…」と、感心することができます。

★蓋つきヒスイ容器の展示台がさりげにピラミッド形になっていました。
どうも良品を展示する時にこの台座を使用しているみたいです。

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◆劇場的世界

★ 芝居がかったマヤの人々…王様や貴族、一般市民にまで広がる、その役者魂をさりげなく紹介。


■ちょっと気になった品物

ファイル 22-5.jpg ★ユーゴという名のプロテクター--マヤ式ボールゲームの際に着用したと言われている、見た目にも重そうな石のプロテクター。
解説板にも「非ぃ実用的」と書いてありました。


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第二部 コパン王朝興亡史

■ここではマヤ文字解読から見えてきた、コパン王朝の栄枯盛衰を詳しく解説しています。
このコーナーを見終わった後、あなたのマヤ観も変わるでしょう。

★ 見所

○「祭壇Q」のレプリカ-グラスファイバー製


実物から型を取ったレプリカなので、もう素材が違うだけで99%はオリジナルと同等です。
細かい彫りの具合までバッチリ観察できます。


■ちょっと気になった品物

★No.72の絵文字様式の彩色壺--墨絵の感じが鳥獣戯画のような絵壺。迷いのない線がまた魅力的。正面より向かって右の方がダイナミックでよろしい。

★謎のゴムボール--第一展示室出口付近に球技で使ったゴムボールのレプリカがおいてある。
ウーレ(hule)という木の樹脂を固めて作ったものだそうです。
みかけは焼けこげの『たこやき』みたいですがよく弾みます。

★ ◆コパン王朝の成立と拡大

★ 見かけはひとつのピラミッド…だがそれはロシアのマトリョーシカのように幾層もの墳墓が埋められた、魔の聖域だった!!


■西暦426年 ガシュ・クック・モがコパン王朝を創始。
ピラミッドの最深部はフナル王朝のモノ?とマルガリータ神殿が中心。
マルガリータからは「赤い王妃」が発掘されました。


★ ■10J-45「王墓の謎」-コパンのメイン遺跡からちょっと離れている
アクロポリス外で見つかった初めての王墓です。
王位継承者のみが持つことを許されるというゴザ編みのヒスイ製品が出土しました。


■このコーナーではマヤ人たちが生み出した、奇妙キテレツな想像の産物を見ることができます。
鼻のもったりした神官像しか知らない人にとっては、まさに驚異の世界となるはずです。


★ ■ちょっと気になった品物

★怪物型の香炉--もう見た目がスゴイ印象的です。どうしてこんなモノを造ったのかと、小一時間問いつめたいですね。


★王の姿をかたどった土偶たち--チョルチャ王墓の出土物。香炉の蓋に作られた王たちの姿・形がとてもユニーク。一体、一体をよく観察すると「ふんどし」の形が微妙に違う…(^_^;)。


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◆内乱と衰退


■18ウサギ王がキリグア王に首を狩られてからコパン王朝は衰退していったそうです。
キリグア遺跡とコパン遺跡って距離がとても近いんですよね。
そんなご近所王朝がなぜ、仲違いをするようになったんでしょうね…。


■ちょっと気になった品物

★変形された骸骨-歯にヒスイが象眼された骸骨。マヤ人と言ったら、この「変形頭」ですが、今回の展示ではあまり重要視されてませんでした。もう2、3個は見たかったです。


◆コパン王朝の崩壊

古典期マヤ文明の崩壊に関する仮説


▼有力なのは

都市間の戦争
貴族の反乱
生態系の破壊-これについては栄養失調の人骨が見つかったそうです。


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◆バーチャルリアリティシアター

形は映画鑑賞と同じです。客席とスクリーンが用意されています。
違うのは民族衣装を着たお姉さんが、西暦802年のコパンへ私達を誘ってくれるというアトラクションになっていることです。
『仮想考古学』という新しい手法といえますね。

廃墟や遺物ばかりの展示と違い、遺跡にも人が住み、太陽はめぐり、音や匂いが溢れていた…そんなイメージをお客さんに持ってもらうには最適の方法です。オモシロイ技術が育ってきているのですねぇ~。


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◆お土産チェック

バーチャルシアター前の空間を利用してお土産屋がマヤ関連のグッズを販売していました。
いつもの「クリアーホルダー」や「しおり」などのレアアイテムはありませんが、なかなか素敵なモノが並んでいて、買っていく人も多かったですね。


★ グァテマラ観光局が美麗なパンフレット配布していました。
★ マヤ文字のセンスの良いTシャツはステキでした。これからの季節にはちょうどイイですね。
★ 『文明展オリジナル』と銘打ったマヤ土器のチョコレートセット! 味見したかった(^_^;)

シルクロード展-絹と黄金の道

ファイル 24-1.jpg日中国交正常化30周年記念

シルクロード展-絹と黄金の道

THE BROCADE AND GOLD FROM THE SILK ROAD

東京国立博物館 平成14年8月20日~10月6日まで


▼なんとなくブームが去った感のある、シルクロード…。

某国営放送が盛んに番組を放映していた時、その地はまさに「愛の国、愛の土地」でした。
久保田早紀の異邦人が流れるCM…、トルファンかなぁ、ロバに乗った老人がポプラ並木の道を進む…。
「憧れ、悠久のロマン…」 遙かな地であったシルクロードも、昨今はあまり省みる人もなく、
私でさえもその地を旅できたのですから、時代も変わりました(-_-;)。

そんな気持ちだったものですから、「まぁ、軽くね、サラッと見ればいいか…」と思い、いざ入場………。
そしてそこで改めて思いました…。
「やはり国立博物館、さすがだぁ~! ツボを良く知っている!!」

「シルクロード」という言葉は、依然として輝き、私を身体ごとロマンチックな世界へ引きずり込むパワー、文化、謎があることに気がつきました。
こんな素晴らしい展示会を見学させていただき、ありがたいことです。

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ファイル 24-2.jpg★展示紹介-1室目★

■さまざまな言葉、交差する人々


最初のコーナーは堅苦しいトコロがなく、目に楽しい物がポンポンとリズムよく展示されていました。

木簡、教典、墓碑や通行証のような多種多様な文字資料の展示。
大きな説明表が壁に貼ってあり、とても見やすい。
楼蘭から出土した木簡がさりげなく展示…楼蘭は幻の王国と言われていましたが、今は遺物もこうやって普通に展示されるようになりました。

見たこともない文字を見るのも楽しいです。
ホータン語をブラーフミ語で書いた人身売買の木簡とかは興味深いですねぇ。
他にもトハラ語とかウィグル語とか、ソグド語とか、チベット語とか、シリア語とか…。お腹いっぱい(^-^)
カローシュティ文字(カンボジア文字みたい)は初めてみました。

★ 説明文は、20文字×5行の100文字が目安のようで、その限られた文字数で、年、出土地、出土状況が巧みに織り込まれているのは、まさに職人芸! おまけに名文ぞろい。
以後、書き写した説明なども入れていきます。


■草原の道


遊牧系諸民族が残した、まばゆいばかりの金銀製品の数々…。
それと青銅製の生活用具、絹織物などを展示。

■このコーナーのいちおし!

★虎の形の金製品
下半身をひねって、上に振り上げる。特殊な形。カザフスタンから中国北部で愛好されたモノだそうです。

その他、豪華な金細工の指輪や真珠を縫い込んだ布など、4~6世紀の技術の高さはすごいです。


ファイル 24-3.jpg■オアシスの道、西域北道

カシュガル→アクス→クチャ→トルファン→敦煌

紀元前2~1世紀の塑像菩薩頭部、舎利容器、色鮮やかな染織品も展示

金製品の動物飾り(紀元前2~1とか)

■このコーナーのいちおし!
★布のお守り。立身出世を願った「登高」という文字は、センス良し!

■ガラス脚杯
丸いあめ玉が貼りついているようなデザイン。全体的にソーダ色でカワイイ。
6~7世紀の物なので、あまり銀化が進んでいない。

ファイル 24-4.jpg■このコーナー、最高の名文!-----------→


★ 39番円花鳳凰文錦


瑞花風の円花文の周りをさまざまな姿態の鳳凰が華麗に群れ飛び、
これらが朱地に金色に輝いて見え、華やいだ雰囲気を醸し出している

■説明文丸写ししてみました。
実物は何の変哲もない布なのですが、この文章を書かれた人のイマジネーションにビックリしてしまいました。
この方にはこの布が動画のように見えているようです。
「輝きながら群れ飛ぶ鳳凰…」この説明文を読んでから、改めて布を見ると、
グルグルと飛翔する鳳凰の風を切る音まで聞こえてきそうでした。
やはり人の興味を引き出す文章というのはあるもので、とても勉強になりました。
名もなき学芸員サマ、感服しました。


■宇宙から見たシルクロード

衛星画像を使った地図は、このような博物展では見たことなかったので、新鮮な感動がありました。
こういう時代なんだなぁ~としみじみ…。

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★展示紹介-2室目★

2室目は草原などがふんわりと印刷された垂れ幕が天井からつり下げられ、まるでパオ(ゲル)をイメージさせる空間となってます。

空間を大胆に使用したイメージ作りは、平面展示になりがちな博物展では、ちょっと面白い工夫。
最近の流行なのかなぁ。
エジプト展でも入り口にちょっとした神殿のオブジェを配置したことで、見学者の気持ちがあたためられたし、これはいい流行だと思いますよ。


■オアシスの道-アスターナ

「THE ASTANA TOMB」-唐の影響をもっとも多く受けた地域(トルファン)

62番の胡人俑
「確かな技術に裏付けられた秀逸な出来ばえ」
カッチョイイ男の粋な一瞬をとらえたポーズに、ちょっと惚れてしまいました。

7世紀の囲碁盤があった。十九路盤で今と同じなのでちょっと感動。

布などは7世紀に技術的なモノは、ほとんど完成されていることを知りました。
とても美しく繊細で、ヨーロッパではまだ毛織物という状況を比べてみると、やはり中国はすごいなぁと思う。


■オアシスの道-西域南道


カシュガル→ヤルカンド→ホータンなど、下の道。

ファイル 24-5.jpgあざやかな絹織物が多数出土

1世紀頃からすでに綿も絹も毛もありました。
特に絹はすごい。毛も思ったより厚くなく、加工や製法によって、いくらでも姿を変えることができると知りました。
色もずいぶんとカラフルで、写真の靴は生地の色が微妙なグラデーションになっていて、とても繊細です。


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おみやげチェック!!

シルクロード展は、過去に何回も行われ、さまざまなグッズが売られ、その過去の実績の元で、売れ筋商品がこの場に並んでいる…、一目見てそう直感したものの、値段が高くて手が出ませんでした(T_T)。

マウスパッドに1200円
シルクロードチックな柄の名刺入れが2300円
ネクタイは1万500円
展示品の写真を使ったマグネットが1200円………

そろそろ値段を下げませんか?
そうしたらもっと売れると思うんですけど…。
薄利多売じゃダメなんでしょうかねぇ…。

それと、絵葉書、今回はまったくダメでしたね。
つまらない物ばかりが絵葉書になってました。
センス悪いです。絵葉書用に写真を取り直すくらいの気構えが欲しい。

センスの良さで、一歩先を行く博物館であって欲しい。絵葉書コレクターの願い…。

アフガニスタン-悠久の歴史展

ファイル 25-1.jpgカブール国立博物館やユネスコ・個人所蔵

アフガニスタン-悠久の歴史展


バルセロナ・カイシャ財団とパリギメ国立東洋美術館がこの展示を企画。

東京藝術大学 大学美術館で開催 平成14年7月16日~9月16日まで


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▼藝術大学…「美のプロフェッショナル」 が生息する得体の知れないトコロ…、
そんな印象を私は持ってました。
なにせ「藝大」…もうシロウトがあれこれ評論めいた文章を書くだけでも畏れ多いよなぁと思ってしまう相手。
だから「今日は胸を借りるつもりで観させていただきます」なんて緊張しながら自動扉に突入しましたが、
「美のプロフェッショナル」であっても、「美を披露するプロフェッショナル」ではありませんでした。
まったく私の勘違いでありました。
「やはり肩書きで物事を判断してはいかんなぁ」 と頭の後ろをカリカリと掻きながら、暑い日差しの中、博物館を後にしました。

今回の注目は、タリバンに爆破された「バーミヤン石窟の壁画片」などが出品されたことでしょう。
すこし黒ずんだボロボロの壁画片は涙を誘うモノがありました。

★ ちょっとヒトコト

■展示会の基礎は、知識を持たない一般の人に、てっとりばやく「地理と歴史」知ってもらい、その上で展示物を楽しく観てもらうことだと私は思います。
ところが今回の展示会…、最初に地下の展示場に誘導されました。
入ってすぐに学長である「平山郁夫先生のお言葉」パネルがありました。
けれど、アフガニスタンの地図も年表も入り口にあってしかるべきモノが見あたらない…。
おまけに通路の一角でハイビジョンの上映をしているので、立ち止まって観る人が、後から来る見学者の流れを妨げる…。

「なんだい、これは…」 とあきれながら進んでみると、狭い会場にお年寄りが大勢…。
「さすが平山先生だけあるなぁ…」なんて思いながら、展示品を観ていこうとすると、お年寄りがかがみ込んで何かしている
「なんだろう?どうしたんだろう?」と思うと、小さな文字で書かれた小さなプレートを必至に読もうとしているらしい。

プレートが貼ってある台と進入禁止のラインは少し離れているので、お年寄りにはそれが障害となって、文字がよく見えないようだ。
ガンダーラ関係は漢字と長いカタカナが多いので、私でもサラっと読めない。
ましてや杖をつくようなお年寄り…。その大変さは想像以上でしょう。

■他の展示品のトコロでは、展示物の前に小さなプレートを置いてあるだけなので、一般客はガラスケースの前にお互い顔を寄せ合って、プレートの文字を読んでいかなければいけない。
真正面から文字を読みたい人たちで、ガラスケース前は大騒動!! 気弱な私はあとずさり…。

■通常、パネルは目の高さ、またはそれより高いトコロに貼って大勢が観られるように設置するものです。
文字も大き目にして、視力の弱い人は近寄って、普通の人は少し離れたところからでも読めるように…そんなことも考慮して、説明パネルは設置するものです。
しかし、今回、この地下の展示場にはそんな配慮…カケラもありませんでした。

■じつはメイン会場は3階なのです。
3階に行って驚きました。「ちゃんとしてるじゃん…」。地図もちゃんとありました。
憶測ですが、地下の展示場は急ごしらえで用意した、メイン会場に入りきらなかったモノを置いたトコロ…そんな感じでした。
でも先に3階のメインフロアーを見学させて、次に地下へ行けばいいのではないでしょうか?


★ それとこれは個人的にニガ笑い。

入り口に 「メモを取る人は万年筆とかボールペンはやめてください」と書いてありました。
受付の人に「あの…鉛筆ならメモを取ってもいいんですよね」と念を押したところ、
「ええ、鉛筆なら構いませんよ。こちらに用意してありますが…」というので、ちらっと見ると、
長さ6センチほどの「スッゴク短~い鉛筆」が3本ほど、机の上においてありました。

「………えっ、なんでこんな短い鉛筆を………」
「………ケチくさ~い………」
と思いつつ、「大丈夫です。用意してきましたから…」と言い返しましたが、
「あんな小さな鉛筆でメモを取れというんか!!」と、内心怒りが…。


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★展示紹介★

■地下展示室

はいってすぐに首都カブールの様子をビデオ上映していました。
現在のアフガニスタンがどんな様子なのか…をアピール。
でも通路で上映するのではなく、もっと奥のめだたないトコロでやればいいのに…と、思う。
特に3階の学長サマの立派な絵が展示してある、人の少ないコーナーとかで…。

■11.カーシャバ兄弟の仏礼拝図

比較的彫刻の線が鋭く残っているので、人物たちの服装がとてもわかりやすく、当時の生活に想いをちょっと馳せてみたりしました。
ファッションがエキゾチック。さすがガンダーラと感心しました。
見渡すと他の彫刻群もこのように細部に渡って丁寧に彫り込まれていました。


■バーミヤン石窟壁画破片(6-8世紀)特別展示

タリバンの衝撃的爆破映像をフっと思い出しました。
「日本になんか来てはいけないよ…。平和なアフガンに早く帰りなさい」と祈るような気持ちで拝見しました。
どんな事情であれ、想いのこもったモノを爆破するという行為は許せないなぁ~と改めて思いました。


■アイハヌム遺跡(BC3世紀)

アフガニスタンとタジキスタンの国境を流れる川沿いにある遺跡

ファイル 25-2.jpgアフガニスタンという国の目玉は、美形の男性だけではない!
多種多様の文物が行き交ったロマン…。そう、ロマンを私はアフガニスタンの歴史に求めます。
だからこの遺跡のように「アフガニスタンにローマ遺跡!?」というだけで、ロマンチックな気分になってしまいます。
展示されていた写真は、私の大好きなモザイク床。
けれど恐ろしく小さな文字で説明が書かれている。写真も立ち位置から遠くてよく見えない。
離れたトコロに、ここから出土したゼウス神像の片足展示
その大きさに驚く。全体は3mほどの高さがあったとかないとか説明が…。
興味深く感じたところだったので、一つのコーナーで展示して欲しかったし、説明も欲しかった。


■ガラス器(1世紀)

これはベグラームという、カブール北方にある遺跡から出土したもので、3階に行ったら、似たようなモノが何点か展示されていました。

象牙色の透明なガラス…。
周りにビヨビヨとついた飾りがなんとなく野暮ったいが、それがかえって愛おしさを感じさせるのか、振り向きつつ何度も眺めてしまいました。


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■3階の本展示室


■1.先史時代

一番最初の展示品がラピスラズリの原石!
個人的には好感度高いが、先史時代の紹介に原石が最初とは………
深読みするなら、「アフガニスタンはラピスラズリの国」ということか…。

★ ムンディガグ遺跡


この遺跡は紀元前4000年~500年に栄えていた都市らしい。
ムンディガグ遺跡から出土した品々(銅)は、紀元前2800年のモノらしい。
どれもこれも洗練された美しさ…、無駄を省いた機能美。
印章などは、ケルトっぽい縄模様や迷路な感じ。
これを見ると当時の文化水準というか、「粋」を感じる感覚が現代人と大差ないなぁ~と感じずにはいられません。


ファイル 25-3.jpg★ 女神座像(紀元前2000~紀元前1900)バクトリア出土

女性の衣装なども寒い国ならではのゴージャスさ。
近くで見ると、毛の流れまで彫り込まれているのが分かります。

■2.アケメネス朝の支配からインド・ギリシア王朝まで


紀元前550~330年頃までアフガニスタンはアケメネス朝の支配下にありました。
その後、アレキサンダー大王に征服され、その後、インド・ギリシア王朝に支配されました。

ここは小皿や絵鏡など、青銅製品の展示がありました。


ファイル 25-4.jpg■3.イラン系遊牧民の時代(紀元1世紀頃)


ここは、カブール北のベグラーム遺跡やガンダーラ出土の遺物がありました。
気に入ったのは、ガラス製品です。
シリアヌという名を持つ、アレクサンドリア周辺生産のガラスはちょっと印象的でした。
青がとても美しく、野暮ったさは相変わらずですが、魚の形をしたモノなどもあり、当時の人の想像力の豊かさにビックリしました。

ガンダーラ出土の「財宝の女神」は、左手に蓄財を意味する巾着を持ち、右手に宝物を意味する首飾りを持つ女神さまで、なんとなく御利益ありそうな風貌でした。


■4.ハッダ(紀元3~4世紀)


ファイル 25-5.jpgハッダとは骨を意味し、昔は仏陀の頂骨、どくろ、まなこを安置していたストゥーパがあったそうです。
まなこって、目玉ですよね…。うううむ、そんなモノがなぜ…。(でもニセモノでしょう)
このコーナーは、仏教寺院址群の装飾などが多数展示されていました。
アフガン最古の仏教美術と銘打つ通り、仏教とギリシャ・ローマ文化が融合したものが多かったです。


■5.バーミヤン(紀元4世紀~7世紀)


地下の展示場にも展示してあるので、ここは大きなモノがちょろっと置いてありました。
印象的なのは外国人が模写したという 「太陽神ミイロ・ミヒラ図」 です。
西洋のドラゴン退治に出てくる騎士みたいで、こんな図が本当にバーミヤン石窟の天井画にあったのか…と驚きました。
全体を彩る青が綺麗で、まさにラピスラズリの青でした。
図の説明に「布にグワッシュ」と書いてあったので、説明を願ったところ、「分かりません」と言われてしまいました(-_-;)


グアッシュ

アラビアゴム、蜂蜜などの膠着剤で練った、重厚な不透明水彩絵の具。
また、それを用いて描いた絵やその画法。(小学館辞書)


■6.アフガニスタンとトルキスタン


中国・新彊ウイグル自治区のキジル石窟の壁画とか、敦煌の壁画とか…

■7.イスラーム時代


陶器や青銅の鍋、釜と古そうなコインとか…。

■平山郁夫アフガニスタンを描く


奥のコーナーに平山学長のアフガニスタン関係の絵が鎮座ましましてました。
昔は好きだったけど…。


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おみやげチェック!!


まったく興味を引くものがありませんでした。
絵葉書でさえも…。
なぜ、絵葉書で、あの「財宝の女神」と「太陽神ミイロ・ミヒラ図」を売らないのかなぁ。
まぁ、これからグッズが増えてくる国だと思うので、先を楽しみにしたいですね。

古代エジプト展-永遠の美

ファイル 26-1.jpg ドイツ・ヒルデスハイム博物館所蔵

古代エジプト展-永遠の美

江戸東京博物館で開催 平成14年7月20日~9月8日まで


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▼開館十周年を迎えた「江戸東京博物館」の肝いり展覧会となる「古代エジプト展」です。
副題に「永遠の美」とあるように、美しいモノを中心に展示されていました。
まだ夏休みも前半なので、お客は少なかったですが、さっそく子供たちが宿題と思われる説明文の書き取りとか、図の模写などをしていました。

今回の注目は、ドイツの、ヒルデスハイム博物館から運び込まれた、本邦初の展示品すべてです。


ファイル 26-2.jpg★ヒルデスハイムのエジプト美術収集★

ヒルデスハイムのエジプト美術収集は、地質・古生物学者であったヘルマン・レーマーによって1870年から始められました。
レーマーはエジプトを旅行して美術品を収集し、帰国後に博物館を創設しました。
また1879年からは、ヒルデスハイムで生まれエジプトに住む貿易商ヴィルヘルム・ぺリツァエウスが、所有するエジプト美術の所蔵品を郷土に寄贈し始め、その量の多さから、エジプト用の博物館を作ることとなりました。


★ エジプトの品々が諸外国に持ち逃げされたことは、クヤシイことです。
けれどこうやってドイツ収蔵の品々を拝見すると、「なんでもいいから持って帰ろう」のイギリスなんかより
「良い品だけを持って帰ろう」というドイツの方が鑑賞眼が優れているのかなぁ…と展示品を見ながら思いました。


★ちょっと驚きの趣向

ファイル 26-3.jpg入り口に、神殿内部に入れるようなミニセットが組まれてました。
これはスゴイと思いました。
壁画の彫刻からハトホル神殿らしいことが分かります。
(壁にクレオパトラと息子のカエサリオンが彫刻されていたから、でもあまり似ていな)
このような雰囲気作りは大切です。スタッフの意気込みを感じました!
評価は百万点!!


★印象的だった主催の言葉

エジプト文明の根幹である信仰や死生観等を色濃く反映し、まさに究極の美意識が存在していたことを皆様に感じていただけると思います。


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ファイル 26-4.jpgⅠ.神々との対話-Land of Gods-

大きな展示物を並べず、ゆったりとしたスペースがとられていました。
コーナー名のとおり、ここではエジプト人がどんな神様を信仰していたのか…ということをあっさりと紹介していました。

★説明板には…

古代エジプトはヒッタイトが「エジプトには千の神がいる」と書き残しているように、数え切れないほど神々が共存する、まさに多神教の世界であった。

とありました。他の国から見たエジプト…、こんな風な軽い文明比較論も私好みです。

ファイル 26-5.jpg■青銅のオシリス神-末期王朝紀元前6~4年


意外に見るチャンスの少ない青銅製の小像がたくさん展示されてました。
保存状態も良く、細かい作りが目を引きます。
やはり神々は金属製の方が立派に見えますねぇ。


■ウジャトの眼のアミュレット(お守りの意味)


色、形、バランスどれをとっても素晴らしいです。

■死者の書のレリーフ-Relief with scene from the book of the dead
末期王朝 148章

何かと話題の死者の書…。パピルスではなくレリーフというのも珍しいです。
148章は「死者に対して下界の食事を与える」ことが記されているそうです。


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Ⅱ.来世への旅 Burial and the Afterlife


来世や天国を信じてミイラを造ったエジプト人たちの気持ちを知ることができるような展示物がありました。
巨大な石棺-ミイラを中に納めたものです。
そのほか、ミイラの包帯のなかに巻き込まれていた護符(アミュレット)の美しい青色が印象的でした。


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Ⅲ.永遠の美 Beauty in Etrenity


そもそもファラオ達は豪華絢爛な衣装を身につけて、贅沢な暮らしをしていました。
ファラオ一人につき、2トンもの黄金を消費したという説明がありました。
それを念頭に入れて展示物を見ると「ウムムっ~」と、その豪奢さにびっくりです。
貧乏人の私では、2トンの使い道など浮かぶはずもありませんけど…(^_^;)

■ビーズと紅玉随の首かざり


新王国時代のモノですが、瀟洒な作りが本当に美しいです。若い王子が使ったのかも…と妄想しつつ拝見しました。
アクエンアテン王が統治していた新王国時代-アマルナ時代は自然の花をモチーフにしたものが多いので、素朴でありながら力強さみたいなモノを感じます。


■ベネジュの彩色木棺


今回の目玉。これを見なければ話にならないモノです。
細密そして大胆な色使い…。職人の意気込みが感じられます。
白い絵の具がとても綺麗でした。
棺の中に描かれたオシリス神がちょっと不気味でした(^_^;)


■おまけ-エジプトのガラス細工


エジプトのガラスの生産が始まったのは、紀元前1550年頃のことです。
最初は透明なガラスを作る技術がなかったそうです。
アメンヘテプ三世のマルカタ王宮内の工房や、アクエンアテン王のアマルナ王宮内の工房が王家専属として手厚い保護の下にあったそうなので、当時のガラスはとても貴重なものだったようです。


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おみやげコーナー

■毎度、おなじみのお土産チェック!
しかし、これといって面白いモノもなく、手ぶらで帰宅。
絵はがきもパッとしない感じで、カメラマンガンバレ!と言いたい。
パピルスもイマイチだが、けっこう高い値段が付いてました。

40×30=2000円
15×10=800円
8×6=300円

どれも生彩さにかけるので、魅力なし。

■館内のレストランで「エジプト料理フェア開催中」
下にある写真は吉村先生のレストラン「パピルス」

料理まで監修するとは…さすがです(^_^;)

コシャリはエジプトの郷土料理みたいなもので、私も大好きでした。
オールドカイロにうまいコシャリ屋があり、通いました。(^_^)v
コシャリは形の異なった小麦粉製品(うどんとかマカロニとか)にタレをかけて食べるモノです。
食べてみたい人はレストランへGO!

古代エジプト文明展

ファイル 28-1.jpg国立カイロ博物館所蔵

古代エジプト文明展

横浜そごう美術館で開催


▼久しぶりのデパート開催イベント…、東京の博物館に比べるとお客が少なかったです。
平日だったせいもあるんでしょうが…。
展示品も少な目で、いつも混んでいてウンザリしていた私にとってはかえって新鮮でした。
▼今回はシャーペン使ってメモ取っていたんですが、係りの人の目が気になって仕方なかったです。
やはりメモは遠目からでも分かるトンボの鉛筆にしたほうが無難ですね。

まず一言、この展覧会…「四大文明展-エジプト」と完全にだぶってます。
しかし、1年ぶりだし、ある意味より抜きのダイジェスト版ばかりが並んでいるので、四大文明展は混んでいて、ゆっくり見られなかったな~なんて人には最適です。

今回、注目していたのは新王国時代18王朝のアクエンアテン王(イクナートン王/アメンヘテプ4世)関係の品々です。
なんたって、これを書いている今、このファラオに関する本が脇に山と積んである状態なんですから…。
興味を持ち始めてあれこれ調べていたファラオの品々が、突然、自分の前に現れたなんて……。
四大文明展は去年の8月。まだ日本中を展示品が回っていたなんて知りませんでしたから、まさに奇跡的な再会でした。
その頃はアクエンアテン王の顔は知っていても、彼の波瀾万丈の人生については何もしりませんでした。インターネットで展示内容を確認したとき、本当に我が目を疑いました。
会場でも展示品見ながら泣きそうに感動してしまいました。
タイミングって大事ですね。本当にそう思いました。
四大文明展の感想を読みかえしてみると、なんだかつまんない書き方してますね…。
もったいないというか、お馬鹿というか…。何もわかってない自分がそこにいて、恥ずかしいです(懺悔)。

ツタンカーメンの王墓を発掘したハワード・カーターがのぞき穴から王の宝物を確認しているとき、背後からカーナボン卿に「何が見えるかね」と尋ねられ、「はい、すばらしいものが」と答えた…というエピソードを思い出しました。
本当に感動している時はこんな返答しか出来ないものです。今の私もそうなんですよ…。


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質問:「エジプトの王朝って何?」
答え:前280年頃、エジプトの神官マネトーはその血筋により過去の王朝を30に分けました。
現在もそれにそってエジプト王朝を分けています。


Ⅰファラオの興り-先王朝時代(前5000年)~古王国時代(前2180年頃)

統一王朝成立の立て役者、ナルメル王の説明看板とその頃作られたカバをかたどったパレットが展示の目玉…、他は書記の像とかそんなのばかりです。以外に飽きてしまう書記の像(本心)。
この頃の王宮はサッカラにあり、この地の神の代表は、プタハ神、ネフェルテム神、セクメト女神なので、名前に「○○プタハ」とつく書記が多い。
ギザの二番目に大きいピラミッドを造った「カフラー王」の座像がありました。
威風堂々とした姿は男前!


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Ⅱファラオの隆盛-中王国時代(前2040年)~第2中間期(前1565年頃)

この時代は国の中心が下エジプトのメンフィスから上エジプトのテーベ(ルクソール)に移りました。

ここの見所は「メンチュ・ヘテプ」のステラ(しっくい画)で、その絵に描かれた神への供物がおいしそう。当時のエジプトは本当に食材が豊かだったのが分かります。
特に肉がうまそうです。

このコーナーの目立たない石碑にエッチな神様がいます。「豊饒の神-ミン」です。男の神様で、大事なところが…。興味のある方は会場へGO。姿はエッチですが、古代エジプトではとても信仰されていた神様です。


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Ⅲファラオの栄光-新王国時代(前1560年~1070年頃)

前1700年頃、政治的混乱に乗じて、アジア系のヒクソスが侵入し、エジプト史上初の異民族王朝が樹立しました。しかし、上エジプトのテーベ(ルクソール)にあった第17王朝がこれを駆逐し、新たに第18王朝(新王国時代)を開き、エジプトは再び統一されるに至りました。それ以降、エジプトは史上最強の国家として繁栄を極め、エジプトの国際的役割も以前に増して大きなものになりました。
首都テーベを中心に多くのすぐれた記念建造物、美術品が遺されたのもこの時代です。

ファイル 28-2.jpg 図1 アクエンアテン王の立像の上部
砂岩:ルクソール東岸:東カルナック・アテン神殿


アメンヘテプ4世は、太陽神アテンを唯一神とする宗教改革を行い、自らの名をアクエンアテン「(アテンに有益なもの)の意」に改めました。
この立像はもともと高さ5m以上の巨大なオシリス柱として、治世2~5年にかけてつくられ、カルナックのアテン神殿に設置されたものです。
特徴は細い目、分厚いクチビル、とがったアゴなどです。
この像を展示場でジ~っと見ていると、像の白い砂岩が月の光のようにかがやいて、冷たく、荘厳な姿に感じられます。今にも話しかけてきそうな、息づかいも…。

感想:
治世初期の頃の彫刻なので、知性的で美しく、ファラオとして充分な魅力もった人物だったことが伝わってきます。顔つきが病的といわれますが、そうか?ぜんぜん感じませんね、私は…。
とても素晴らしい彫像だと私は言い切ります。
毎晩、このファラオのことを調べているので、より愛着を感じます。


ファイル 28-3.jpg図2 アクエンアテン王のナオス(祠堂)

アクエンアテン王はアテン神を崇拝する多くの記念物をつくりました。
アテン神を象徴する太陽球から発せられる光線は、アテン神からの祝福を表し、それを受けるアクエンアテン一家が描かれています。太陽光線の先端は掌の形をしており、生命を象徴する「アンク」を王の鼻先にかざしている様子が描かれています。
王と共に祝福を受けているのは、王妃ネフェルティティと王女メリトアテンです。

感想:
思ったより大きくて、てっきり石版だと思っていたので、びっくりしました。横にはえぐられたような穴がありました。
彫り込み線が深く、強い強い太陽光線で人や物の輪郭が黒々と浮き出て見える、そんな瞬間を捉えていて一見地味ですが、なかなか印象的な彫刻です。


ファイル 28-4.jpg図3 アマルナ王宮の彩画
プラスター彩色:テル・アマルナ出土


古代エジプトの王宮は、日乾しレンガで建造されていたため、保存状態が悪く、ほとんど残されていません。ただ、マルタカ王宮とアマルナ王宮の2つは例外で、建物を装飾していた彩画片が多数発見されています。
この彩画はアマルナ王宮の床面のもので、パピルスが生い茂るナイル河畔の光景と草むらからオナガガモが今まさに飛び立とうとしている瞬間を描いたモノです。


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Ⅳファラオの交流-第3中間期(前1070年)~末期王朝時代(前305年頃)

なんとなく目玉のないコーナーですが、ちょっと気になったのが、「56番-シェブ・エン・セペデトの座像」です
足下に3体の神が描かれています。3体とは、イシス女神とネフティス女神を従えるオシリス神…。これって四兄弟の内、セト神だけ描かれていないんですよね。
時代が下がるとセト神をあがめる人々も出てくると読んだような気がするので、まだこの時代は嫌われものだったのかな?と理解しました。

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Ⅴファラオの輝き-黄金の遺産

図4 ハゲワシをかたどった襟飾り
ルクソール西岸:王家の谷「55号墓」

男性のミイラの頭に被せられていた状態で発見されました。発見当初は、ミイラはツタンカーメン王の一代前の王、スメンクカーラーのものとされていましたが、近年ではアクエンアテン王のものとする説が強いそうです。
黄金の板のノミで丹念に叩いて施された繊細な細工は、当時の高い加工水準を示しています。右足は欠損していますが、左足の爪は永遠を象徴する輪「シェン」をつかんでいます。

感想:
スメンクカーラーもアクエンアテン王も、若くして死んじゃったりしているから、この永遠を表す輪もかえって無情を際だたせているようです…。あーでも、本物が見られて本当に嬉しい。アテン神に感謝!

おまけ-マリア像の原型?

図5 ホルスを抱くイシス女神:末期王朝時代(前1085年~前671年頃)

この像はキリスト教のマリアと子の原型になったものではないかと言われている、ちょこっと有名な像です。確かに母乳をあたえようとしている瞬間の様子はイコンなどでも見られるデザインですよね。

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質問:神殿と葬祭殿の違い
神殿とはあの世に住んでいる神々たちが祭りや儀式に参加するためにこの世にやってきた時の住まいとなります。
葬祭殿はファラオの葬儀を行う場所で、葬儀に列席した神々たちがそこに気にいって再び来ることがあるだろうと考え、儀式が終わっても建物を取り壊さなかったそうです。

チケットの黄金マスクは「プスセンネス1世の黄金のマスク」です。
このファラオ像、不思議なんですよ。この展覧会のチラシのファラオは向かって左の黒目が薄く、はげかかっているんですが、四大文明展のチラシは「黒々」としているんです。
「あっこれ見たな~」という感じでよく見てこなかったんですが、実物はどうなっているんでしょうか。
これから行く方、よく見てきてください。


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おみやげコーナー

★ 「エジプトはナイルの賜物」というわけで、パピルスで描かれたエジプトチックな絵柄…ツタンカーメンとか、死者の書の一部みたいのとか……。全100種類(そごう談)
でもでも、絵が下手なんです。ヘッポコなんです。それでも30×30センチで3000円くらいするんです。
しおりサイズで600円。名刺サイズで300円。
ヘッポコすぎて買わなかったんですが、今おもえば、アクエンアテン王のものだけでも買っておけばよかったかな。
あとはラスベガスで作らせたような、ファラオが組み込まれたボールペンもすごかった。ペン全体が金色(^_^;)。ちょっと欲しかった…。
ノートもヒエログリフをバックに刷り込ませたカッチョイイのもありました。あと、いかにもブームに乗った「一筆箋」数種類売ってました。
エジプト輸入の銀のアクセサリーは以外にステキでした。
と、まぁ、あいかわらずですが、なんと「早稲田発掘チーム・オリジナルジャケットと帽子」がなぜか売ってました。
誰が買うの?