遺跡馬鹿のイベント潜入記

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インダス文明展

ファイル 37-1.jpgインダス文明展


観覧のキモ=生活のすべてはこの時代に完成していた!


都市文明のあけぼの
入ってすぐの壁にバローチスターン丘陵・麓の諸文化(7000~2300BC頃)と題して、5カ所ほどの遺跡の写真がありました。
でも多くは土まんじゅう。モヘンジョダロも最初はこんな形だったのかなと想像…。

ファイル 37-2.jpgメヘルガル出土の土偶(絵はがき見てね)は、はじめてみるわけではないのに、「あれ、こんなにきれいだったっけ?」という思いが。
そう、全部カラチの博物館に展示されているものだったわけです。
2回もパキスタンに行ったのに何故カラチに行かなかったのかと後悔しきり。
お気に入りはNo47、No48(イギリスの裁判官みたい)、No58です。
これから行く人、チェックしてね。


モヘンジョダロ・コーナー
▼「都市の形」として復元図がさりげなく壁にかかっていました!
▼モヘンジョダロ市街地の家屋の復元模型
模型と呼ぶには大きすぎる、1/1のサイズです。
ある家をモデルにして、井戸と隣に併設された沐浴室を再現してありました。
なんと井戸には本物の煉瓦を使用しています。
行ったことのある人なら分かりますが、壁の高さがリアルでした。
当時は2階建てだったらしいので、どの住居も壁が高いそうです。
意味もなく、なんとなく置かれた土器がキュートです。
▼本物の焼き煉瓦に触れるコーナーあり。


展示会の超目玉
「神官王」(チケットの顔ですね)
始めての対面!緊張から発した第一声は「お~ちっちゃい!」
教科書等でこの像を知ってからウン十年、頭の中では勝手に60センチくらいの巨像に育っていました。
目の前にある、このちっちゃい像が本当にあの「神官王」なのか?(自問自答)
う~ん、写真のトリックだ。
しかし、他の客も同じ感想のようでした。


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おみやげコーナー


ファイル 37-3.jpgインダス文明展のおみやげコーナーはオリジナル商品が多く、購買意欲がどんどん湧いてきました。
「やればできるじゃん!」とスタッフに言いたいほどでした。
今回買ったのは「神官王」のマウスパッドです。これで600円は「買い!」ですよね。
その他、Tシャツもいいデザインでした。

エジプト文明展

ファイル 36-1.jpgエジプト文明展

観覧のキモ=職人の魂は道具にあり! ヒエログリフの美は彫りの鋭さにあり!


入り口入ってすぐにピラミッドの模型があります。
かなり大きな模型で、縮尺など正確なため、申し訳程度の大きさの「働く人々」が絶品です。
普段は意識しない地下の間などがよく再現されているので、よく見てね。


ファラオの興り-古王国時代
No.34 神官ネフェル・セシェム・プタハの偽扉
今回の展示物中、傑出した素晴らしさ!
近づいてよくみると、象形文字の彫り口がまさに直角!
2300~2180BCのものとはおもえない、職人芸を感じさせる扉です。
このように石を削るのはよほど刃先をするどく整えないと出来ません。
腕のいい職人の意地は時を超えても感動を与えてくれるものですね。


No.8 建築家カエム・ヘセトの家族像
カエムは「王の建築家」で「彫刻家の長」であったため、当時の一流の彫刻家によって自らの家族像を彫ってもらったのがこの作品。
どれどれと近寄ってよく観察すると、確かに頭の毛の彫りが他の肖像より細かく彫られています。
それとカエムの鼻は、なんだか存在感があり、こういう細かい仕事が一流と呼ばれるゆえんなのかと思いました。
お茶目なのはカエムと妻の間で指くわえている子ども。ここだけ手抜きな感じもしますが。


ファラオの隆盛-中王国時代
No.45 カノポス箱(2040~1785BC)
ミイラの内臓を壺に入れ、それを保管しておくための箱。
それだけの用途にすぎないのに、細部にまで行き届いたこの仕上げはいったい何なのだろうか?
ふたと箱の継ぎ目はぴったりとし、境界線はまっすぐで、すこしのゆがみもない。
また箱の表面はよく磨かれていて凹凸がない。真っ平らなのだ!
石をこれほど磨くのにどれほどの時間が必要だったのだろうか?
石工の意地を見せつける一品です。
蓋の上部には曲線を持たせ、全体のデザインはアールデコの雰囲気も漂っています。

ファラオの栄光-新王国時代
歴代のファラオの中でも異色の美的感覚の持ち主、アクエンアテン王の時代の遺物はどれもモダンです。
たとえば No.76青色彩文土器のデザインは現代のわれわれでも欲しくなるほどです。
しかし圧巻なのは、尖ったあごをもつアクエンアテン王の彫像。
あまりにもリアルです。
カイロの博物館にはもう少し多くの作品が展示されていますが、どれも印象的で、そこだけ空気が違ってました。

ファラオの交流-末期王朝時代
特に印象に残ったものはありませんでしたが、ミイラが入っていた木棺に小学生が驚いてました。

ファラオの輝き-黄金の時代
No.123シェションクⅡ世の胸飾り
でかいスカラベが印象的な胸かざり。
このスカラベ、一見すると草まんじゅうのような愛らしさ。
でも横から見ると「虫です、ども」という感じでラブリ~です。
細工も細かく、とても素晴らしい装身具です。

メソポタミア文明展

ファイル 34-1.jpgメソポタミア文明展


観覧のキモ=秩序と雄々しさ! ヒゲの文化は伊達じゃない!


ルーブル美術館に所蔵されていた品々、特に「文外不出」といわれる「ハンムラビ法典」が日本に来るというので、結構混んでいました。
メソポタミア系の展示会というのは案外少ないので、多量に見ることが出来るこの企画はまったくありがたいモノです。

シュメール文化の中心地として世界的に有名な「マリ遺跡」を訪問した私はその荒涼ぶりに唖然とし、「話が違うではないか!!」と吼えたことがあるので、今回は華麗なるマリ遺跡の出土品を期待していました。

なお、今回は入り口で「展示目録」が置かれてなかったのが非常に残念。
上野にはあるのに世田谷では配らないなんてちょっとひどいですよね。料金いっしょなのに…。


ファイル 34-2.jpg概要

最初に足を踏み入れるホールには四つの巨大なパネルに主要なメソポタミア遺跡の写真が並んでいました。
1.ウル第3王朝(2100BC)のジグラット
2.前14C半ば以降、アッシリアの都市が置かれていたアッシュールとチグリス川
3.アッシリアの王センナケリブ(704~681BC)が首都として建設したニネベの門(背後の岩山がそそる)
4.6BCに繁栄していたバビロン遺跡

パネルの下にはそこから出土した遺物が展示されています。


★音声ガイド3「山羊を描いた杯」
ペルーの「チャンカイ遺跡」出土の土器と色合いなんか似てますよね。
一見すると「だまし絵」みたいですが、犬と大きな角を持つ山羊が描かれています。
その山羊を囲む直線の枠がまたピリッと聞いていてこれが5000BCの感性かと驚きましたね。
これは初期ウバイド朝(5000BC)のもので出土は「スーサのアクロポリス」となっています。
(スーサは現在イラン国の南部にあたります)


●閃緑岩の「軸受け」
一抱えもある大きな石なのにさりげない存在感。
軸受けとは扉の軸を支える土台のところ。よく使い込まれていてピカピカです。

第3章 アッカド帝国

ここでは前2350にアッカド帝国に君臨したサルゴン王の時代の遺物を展示しています。
ここでお待ちかね!


生ハンムラビ法典!
感想:
思ったよりも大きく、堂々としている姿も良し! 玄武岩の存在感も素晴らしい!
巨大な円筒石にびっしりとくさび型文字が掘り込まれているのですが、近づいてよくみると、その刻線の細いこと!
神から権力と支配を象徴する杖と輪を渡されるハンムラビ王。
法によって国を治めるという世界最古の法典を作った王にしては、謙虚な姿がそこにはありました!
法典が展示してあるコーナーには3台のモニターが置かれ、「ハンムラビ法典の発見」「法典の意味」「楔形文字」について解説ビデオを流していました。
モニターが入り口近くにあるので、そこだけ混み合い、落ち着いて鑑賞できなかったのが残念。
法典の歴史:

バビロニアにあったこの法典はエラム人が戦利品として持ち帰り、やがてエラム人の滅亡とともに忘れ去られ、
1792年にフランス発掘隊よってスーサ(もとエラム人の都市)から発見された。


ファイル 34-3.jpg 第4章 ラガシュ国のグデア…シュメールの復興

グデア王(2125~2110BC)
ラガシュ国のグアデ王はバビロニアに影響を受けた芸術を捨て、シュメール・ルネサンスを起こし、
新しい時代を築いていきました。
展示物にはグデア王の名が刻まれているものが多い。
その中でも当の「グデア王」自身の像は王の石「閃緑岩」で作成されています。
やさしげな王の表情とは別に二の腕の逞しさがこの王の本質をあらわしているような気がしました。

第5章 バビロンのハンムラビと人々の暮らし


ファイル 34-4.jpg★音声ガイド12「生け贄の執行人」
マリの宮殿から出土したこの壁画。
「う~ん、こんなものがあったのか」と、あの発掘現場を思い出し、しみじみ…。


ファイル 34-5.jpg第6章 アッシリア
この時代くらいが私たちがイメージする壮麗なメソポタミア文明と合致するんじゃないでしょうか。

★音声ガイド23 「歩行するライオン(行列通路のレンガ装飾)580BC」

何度も本で見てきたあの「ライオン」が自分の前に……。ちょっとジーンと来ましたね。
背景の青はイスラム圏で割と目にする青の釉薬で染められています。
ライオンの身体に使った黄色も深みがあって美しかったです。

当時は威厳のあるライオン画が左右の壁にずら~っと60頭も並んでいたそうですが、
ため息でるほど美しかったと思います。


ここのピカイチ
とんがりカブトをかぶった2人の兵士を描いた低浮彫り(ニネヴェ出土・645~640)
表情が渋い!勇敢な兵士の一瞬を切り取ったような表情がいい!意思の強さを感じさせる鼻の存在感も○。

第7章 ペルシャ帝国治下のメソポタミアとアレクサンドロス大王征服以降


★「ペルシャの射手」 スーサのダレイオスⅠ世の宮殿アパダナ(謁見の間)522~486BC)
ここでの目玉はなんといっても装飾レンガ!
ひげヅラの兵士が身にまとう服には、かわいらしいお星さまが!


★「王の頭部(530~520)」
キプロスのマルラで出土したなんの変哲もない石像頭部です。
「アッシリア年代記」の解説によると、

「キプロスはアッシリアに征服され、ペルシャに征服されるまでアッシリアに貢物を送っていた」
あんな小さな島なのに王が君臨していたのかと、ちょっと驚き。


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ファイル 35-1.jpgファイル 35-2.jpgおみやげコーナー
ルーブル美術館で売っているものも混じっていましたが、まあ品揃えとしては70点くらいをあげたい。
写真のクリアーファイルは他にもあったのですが、今回の目玉はハンムラビ法典なので、その絵柄を購入するポイントにしました。

右手は「ハンムラビ法典・ペンケース」です。ちょこっと小さいのが良し悪し。
マウスパッドもありましたが、「メディア朝貢使の頭部」とか題材のポイントがずれているものもありました。
絵はがきもパッとせず、ちょっと残念。

中国文明展

ファイル 32-1.jpg 中国文明展

観覧のキモ=古いものほど大胆不敵! 

鶴間和幸先生が大陸をまわって集めてきた珠玉の品々を「よ~し、見てやろうじゃないか!」と、
挑戦的な態度でドスドスと美術館へ行って来ました。
しかし美術館を出る頃には「こりゃ、参りました」と素直に頭を垂れてしまいました。
なお、今回は解説イヤホンを借りた人にだけ「展示目録」が渡されていました。

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ファイル 32-2.jpg中国文明の誕生(新石器時代)

●石辟邪(せきへきじゃ) 後漢25~220AD
入口にまずこの石虎が登場。
身体の両側に翼が生えていて、ペガサスの虎版というものでしょうか?
NHKの「カードキャプター・さくら」を観ている人なら「ケロちゃん(ケルベロス)」と、
頬をすりすりしたくなったと思います(きっと!)

ファイル 32-3.jpg2.猪紋黒陶鉢 新石器5000~4000 河姆渡遺跡(浙江省)
どっしりとした黒陶の表面を削り、下地を出す方法で可愛らしいイノシシを漫画のひとこまのように描いていています。


6.陶鷹尊 新石器5000~4000 陜西省(仰韶)

ひとかかえもある、大きな鷹の形の酒瓶。
一目見て「モチーカ?」と思ったほど南米的なデザイン。
これが新石器時代の縦穴住居に置かれていたのを想像すると楽しい。

8.旋渦紋大彩陶罐 新石器3000~2000 
いわゆるアンダーソン土器と呼ばれるウズウズした壺です。
しかしこれほど大きく美しく完品は珍しい。
つやつやとした表面は、今から5000年前のモノとは思えません。

都市文明の交流(夏殷周)


ファイル 32-4.jpg21.銅偶方彝 殷(商)16~11BC(安陽)

「婦好」という女性が使っていたというモノ入れ。
女性が使うというよりはメカゴジラが使っていたようなボテドテ感。
中国で宗廟の祭に常用した銅器だそうです。


● 人面紋銅方鼎 殷(浙江省)

なぜか顔が鼎の中央にあります。
とても保存状態がいいです。
中をのぞくと、内側に文字があります。誰の顔だったのでしょうかね。


四羊銅方尊 殷16~11BC(安陽)

四隅に羊がかたどられている、黒光りしていて美しい尊です。
大きさといい、描写の巧みさといい、殷代を代表する尊とも言えます。

24.銅豚尊 殷(湖南省)
豚をかたどった、でかい酒器である。
背にちょこんとついているにわとりもキュートだが、顔まで文様がついた豚を見て「諸星大二郎の世界だ~」とつぶやく。

中華世界の興亡(春秋戦国時代)
37.王子午銅鼎 春秋770~451BC(河南省)

ゆがんだ「エノキダケ」を取っ手に貼り付けたような異様なかたち。
蝋付けの技術が採り入れられるようになって青銅器は新たな形へ変容していく。


方尊(復元)
菓子満さんが復元した尊です。
黄土高原の土を型にして造ったものですが、細部までよく線が出ています。
輝きは発行されたばかりの10円玉と同じような輝きでした。


ファイル 32-5.jpg壁画・宮女図
西安から持ってきた今回の目玉。
鶴間先生が言っていた中国役人の封印、発見!。ガラスの両端にぺったりと貼ってありました。
遺跡マニアならコーナー隅の「唐恵荘太子墓」の発掘現場写真を見忘れないこと。
参道と墓室の土を取っ払ってあります。古墳の発掘現場ってなんか哀れを誘いますよね。

古代帝国の文明(秦漢)
入ってすぐに秦始皇帝が造らせた兵馬俑が3体、あなたを威嚇してます。
先生が持ってきたかったのに持ってこられなかった、1号銅馬車と一緒に出土した銅矢箙・銅弩・銅剣などが展示されています。
銅剣は酸化クロムメッキが施してあるので、今でもピカピカ。すごい技術です。


銀縷(る)玉衣 前漢202~後8
2216枚もの軟玉をつないで作った遺体を覆う葬服。
これを着せておくと遺体保存に役立つと信じられていた。


てん王之印 前漢 (雲南省) 前漢202~後8

てんの文字が出ませんでした。
蛇の形のつまみを持つ印鑑。日本の金印と同様にこれも漢の武帝が下賜したもの。
おみやげにこの印の「消しゴム」買いました。


祭祀場面銅貯貝器 前漢(雲南省) 前漢202~後8
127人の人物がまつりに参加している様子をあらわしたもの。
よく見ると石に縛り付けられている人とか石にからみつくヘビとか気になるものもあった。


胡漢文明と仏教(魏晋南北朝)
唐以前の仏像が並ぶ。
個人的にはこの時代の石窟が大好きで、中国滞在中はあちこち、地図を片手にまわりました。
残念ながら今回は北魏朝の仏像は来ていませんでした。


世界帝国と東アジア(隋唐時代)


十二生肖陶俑 西安
高さ30センチほどの十二支が円を描いて展示されています。
中国から日本に伝わってきた干支というものは、この頃にはもうあったんですね。

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おみやげコーナー
特に目新しいものもなかったのですが、鉛筆と消しゴムのセットが360円と手頃だったので買ってみました。
この鉛筆には古い漢字が金文字で書かれていて、なかなかヨロシイ。
しかし、けしごむはちょっとダサイ。

ここには定番のマウスパッドはなかったです。
それにクリアファイルも他の博物館より20円高かったです。

講演会「中国文明の遺産」

ファイル 38-1.gif講演会「中国文明の遺産」

講師 鶴間和幸氏(学習院大学教授)

なぜ地元で「中国文明」を取り上げることになったかというと、事前にアンケートをしたそうです。
舞台に登場した鶴間先生はテレビでみたよりヒゲが好印象で、親しみやすい感じがしました。
NHKの「昼どき日本列島(お昼にやってる番組)

ビデオやスライドを交えての講演でしたが、やはり興味深いのは展示会の裏話ですよね。
この「四大文明展」はご存じのようにNHKが開局75周年の記念行事として行っているのですが、
そもそも言い出したのは誰かというと「京都支局の偉い人が2年前に言い出した」のがきっかけだそうです。
それから鶴間先生は監修を頼まれ、展示品を探すため、中国各地の博物館をまわったそうです。
「どうせなら今まで日本に紹介されていない、すごくて大きいモノ」をゲットするため、交渉も大変だったようです。

この講演会では中国展の招待券をくれるので、ちょこっと得しました。

話の中ですごいな~と思ったのは、西安の兵馬俑坑から「色つきの兵士俑」発見され、そのなまなましい写真を見たことです。
こんな写真をみると、当時の兵士俑には目がギョロリとついていて、本当に生きているようです。
目のついたモアイ像がどことなくまがまがしく見えるのと同じかもしれませんね。

運搬は「日通」の美術品運送のプロにお願いし、スタッフは何度も中国へ打ち合わせに行ったそうで、唐代の壁画は特に湿度の変化があってはならないので、特殊な装置を開発したそうです。

最後に:
有名な先生でも眠くなる講演が多い中、鶴間先生の熱い情熱は2時間とぎれることなく、こちらに伝わり、楽しい話が聞けたなと大満足でした。

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