遺跡馬鹿のイベント潜入記

記事一覧

エトルリア世界展

ファイル 8-1.jpg Ⅱ Mondo degli Etruschi
新イタリア文化会館開館記念


エトルリア世界展

新イタリア文化会館で開催 2005年10月30日~12月11日まで


-------------------------------------

▼外壁の塗装が「赤で派手だ」という話題をニュースで見かけ、その辺も興味があって新イタリア文化会館に行って来ました。
思ったほど派手には見えず、むしろイタリアっぽくて良いのでは…と思ったのですが、展示室横のトイレが殺風景でひどく興醒め。
横と言っても白扉に紙が貼ってあり「トイレはこちら…」
扉を開けると楽屋裏みたいな雰囲気のところにトイレが1個。
それも凝った内装でもなく、事務所のトイレのような雰囲気。
後から入って来た奥様方も、そのつまんない外観に唖然としていました。
なんか期待しちゃうんですよね、「イタリア文化会館」だから。


■今回の入り口は…

そもそも展示室というより玄関ホールにガラスケースを並べたような会場なので、「チケットを買う、チラシを見ながらゆっくりと展示室に入る」という普通の入場が出来ず、ちょっとアタフタとしてしまいました。
チケットは正面入り口に向かって右壁のガラス扉の向こうの、なんか奥まったところにありました。
入場料は500円でした。
図録、チラシ、チケットの印刷はさすが金がかかっていました。

正面の扉を「よっこいしょ」と開けると中は薄暗い。
会場の中央に扉があったので、とりあえずチケット・チェックの姉ちゃんに「左右のどっちから見たらいいんですか?」と聞いたら「どっちからでも良いです」と言われた。
右手から回り始めてみると設営した人はちゃんと右手から古い順に遺物や案内板を設置していました。
あまりにシロウトっぽいと言うか、自分が管理している文物を一度も見ていないことがモロバレでした。


-------------------------------------

ファイル 8-2.gif ★エトルリア文明の起源

エトルリアというと、綺麗なお墓彫刻というイメージばかりが浮かびます。
今回はそこに埋葬されていた人たちを知りたいという気持ちもあったので、初期の頃の展示物はゆっくり、しっかり見てきました。

小さい字でびっしり書かれた案内板によると、もともとエトルリア人は素朴なデザインの道具を生産していました。
そこに「ギリシャ文化」が流れ込んだことでデザインなどが一変したということです。

絵は古い黒陶の骨壺です。
ギリシャ文化が流入する前のモノで、だいたい紀元前9世紀頃のものです。
キノコみたいですが、時代の特色として、「蓋」がついています。
時代が下ると「蓋」のデザインが角を生やしたり、人の顔がついたりと変わっていきます。

-------------------------------------


★首長の文化

だんだん身分の格差が芽生えてきた頃の遺物が展示されていました。
当時、交易で財をなした人たちの貴金属も展示されていましたが、優美なモノが多かったです。
「象牙のサイコロ」が印象的でした。


---------------------------------------


ファイル 8-3.gif ★エトルリア人の宗教性

彼らは多神教で、神への捧げモノをせっせとしていたようです。
願掛けにも熱心で、病気やケガを治して欲しい場合はその部位を”焼き物”で作り、神殿などに奉納したようです。
面白かったのは絵に描いた「陶器製の臓器」です。
意外にリアルに出来ていました。


-------------------------------------


都市の社会

繁栄したエトルリア文明が何故、滅んでいったのかをテーマにいろんな遺物が並んでいました。
エトルリアが衰退し始めたのは紀元前430年頃で、他民族による侵略が原因ではないかと見られています。

-------------------------------------


★ヘレニズムとローマ化

紀元前273年、エトルリア滅亡。
国が衰えると芸術も貧相になると説明されていました。
確かにありがちなデザイン、稚拙等々、弱い印象の遺物が並んでいました。

ページ移動

  • 前のページ
  • 次のページ