遺跡馬鹿のイベント潜入記

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日本人はるかな旅展

ファイル 30-1.jpg ☆日本人はどこからきたのでしょうか。 ☆

日本人はるかな旅展


国立科学博物館「東京上野公園」で開催


▼日本人とは何だろう?

日本人として生きている私たち。
…が、海外旅行に行くようになると「フィリピン人」だの「ラオスの出稼ぎ人」などに間違われ(私だけか!?)、日本人という自分がすごくあやふやになってしまうことがよくあります。
また「エレクトロニクスが発達した日本はどこにあるの?」と子供に聞かれ、そんな夢の国がユーラシア大陸の端っこにぶら下がっているような島だと言うと、信じられないという顔をされることもあります。

摩訶不思議な国、日本。
今回、この展覧会で本当の日本人を知ることが出来ました。
私たちの祖先がどこから来て、どう生きていったのかが詳しく説明されていて(通常の2倍は説明文がありました)、とても有意義でした。


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▼見学コース▼

第一章:私たちはアフリカで生まれた

10万年前にアフリカで誕生した新人(ホモサピエンス)の直接の子孫が日本にやってきたのは今から3~4万年前。
この人達が原日本人だそうです。

■このコーナー注目の展示■

▼360万年前の足跡(ラニトリの足跡)

日本足で歩く親子の足形が残る化石の石膏取りが展示されています。
他に樹脂で作った模型もあり、こちらはじかに触ることが出来るので、大きさだの指のくぼみなど触感できます。
おもったより大きくて、よく中国にいると言われる「猿人」の足型に似ています。

▼人類の起源には主に2説あります。

1.アフリカ単一起源説:アフリカで生まれた新人が各地へ拡散していったという説

2.多地域進化説:原人が各地に広がり、同じように新人へと進化したという説

最近ではアフリカ単一起源説の方が優勢だそうです。

●このコーナーに「新人の世界進出地図」が展示されていて、それを見ると、日本列島に新人がやってきたのは4~3万年前でスペインが同じように4万年前。イースター島には1500年前となってました。


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第二章:マンモスハンター シベリアからの旅立ち

人類が寒いシベリアを目指したことが人類史の七不思議の一つだそうです。

マンモスの全身骨格は本当にでかくて、頭もでかいがキバもでかい。
(この壁紙のマンモスが展示されていました)
あの首の骨だけでよく支えられるものだとシロウト考え。
マンモスのキバは平均50~60kgあるそうです。

シベリアにある「マリタ遺跡」は世界的に有名な遺跡だそうです。
今から2万3000年前の集落跡でここからマンモスの狩りに使われた道具など多数、発掘されています。
場所はイルクーツクの北西80kmにあります。
現在は40名ほどの村人が住んでいる小さな村だそうです。


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第三章:黒潮の民-スンダランドからの旅立ち

当時の人々が使っていた木製の丸木船が展示されていました。
以前はこのような木製品は空気に触れるとだめなので、展示されることがあまりなかったのですが、最近は樹脂で覆う方法が採用されているので、近くで観察できるようになりました。

■アジア・後期更新世人骨のコーナー■

▼人骨を出土地別に比べてみると…

ワジャク人(インドネシア)←似ている→港川人←似てない→山頂洞人・柳江人(中国)

ファイル 30-2.jpg ←港川1号男性(1万8000年前)の全身骨格をみると、なぜか右足の骨が真ん中でスッパリと切れているので、断面をみることが出来ます。
向かいには4号女性も展示されています。
この港川遺跡(沖縄)は亀裂のように地面が裂けているところにあるようで(写真を見ただけなので詳しくないのですが)、その地面から4体の人骨が発掘されました。
彼らがどうしてこの裂け目に落ちてしまったのか?ちょっと不思議ですね。


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第四章:成熟する縄文文化

ファイル 30-3.jpg ファイル 30-4.jpgこのコーナーには縄文最古の人骨と土器が展示してあります。

●縄文最古の人骨-沙音寺洞穴人骨
●縄文最古の土器-隆帯文土器(加世田市)9000~8000年

人骨の方は、本来歯を守るあごの骨が、歯の周囲がぐるっとえぐられているかのように無くなっています。当時、化膿してかなり痛んだことは想像できます。昔は虫歯で悩む人が多かったようですね。エジプトのミイラからも歯槽膿漏など見つかってそれで命を落とす人もいたと言いますから…。

■日本三大縄文遺跡■

▼九州の上野原遺跡-7500年前。
▼三内丸山遺跡-交易をポイントに説明。
▼船泊遺跡-礼文洞島の最北端3000~3500年前
後期の住居跡と墓が残ってました。
ここから出土した人骨を調べてみたら、意外や顔は縄文顔だったそうです。


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第五章:そして日本人が生まれた

弥生人を中心に日本人がどう変わったかを解説するコーナー。
弥生人が入ってくることによって、日本に「アイヌ・本土人・琉球人」という三種類の骨格が存在することになりました。


■縄文人の歯■
縄文人の頭蓋骨を例に解説していました。
下顎をはずして上の歯の形で見比べてみると、スンダドント(縄文系)の形と渡来人の歯シノドント(弥生系)では歯並びの馬蹄形が大きく違うことに気がつきます。スンダドントはいかにも幅広い丈夫そうな歯並びですが、シノドントは幅もせまく、小さい印象を受けました。


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▼石器ねつ造事件の石器たち▼
これは大いに評価出来ることだと思います。
日本の旧石器時代を混乱に陥れたあの事件-石器ねつ造事件の石器をあえて展示し、すべてをさらけ出して、新たに取り組んでいこうという姿勢みたいなものを感じました。
でも展示してある35年前の石器とだまされたモノは、シロウト目にも新しいとわかるんですが…。
農機具が当たった際についた錆など、冷静になって観察すれば、あきらかにおかしいと分かっただろうに、いったい何に騙されていたのですか?と問いかけたくなりました。

■最後に気づいたこと■
昔、教科書で習った日本の原人達…「葛生、三ヶ日、牛川、明石、聖獄」などの原人が、それぞれ時代がずっと若いことがわかったそうです。
中には江戸時代なんてものも…。

■総 括■
人骨が好きな私はちょっと別の意味で楽しんでしまいました。

ポンペイ展

ファイル 31-1.jpg☆古代ローマの輝き☆

ポンペイ展

江戸東京博物館で開催


▼ポンペイ遺跡って何?

古代ローマ時代、ポンペイは農業や貿易でとても栄えていましたが、西暦79年に起こったヴェスビィオ山の噴火で町は火山灰に埋まってしまいました。
やがて18世紀に発掘が行われ、ようやくポンペイは地上に姿を現すことができたのです。
当時の生活がそのまま灰に埋まっていたため、手に取るように当時の生活を知ることができる、大変貴重な遺跡です。

▼世界遺産に指定されています▼


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▼見学コース▼

第一室:タイムカプセルの扉

ポンペイの発掘は1748年、ブルボン家によって行われました。
発掘当時の写真をみると、当時のポンペイは完全に土砂に埋もれ、丘だったことがわかります。
それも荒涼とした平原という感じです。まさに死者の丘という雰囲気ですね。
(モヘンジョダロも死者の丘という意味でしたね)

■注目の展示■

▼土の標本
壁にポンペイから採取した土砂が展示してありました。
一番下の1cmほどの白い軽石が最初にポンペイに飛んできたモノです。
もしポンペイに行って記念に石を拾いたい人は、この軽石を拾ってくるといいでしょう。

▼ポンペイの遺跡といえば人体の型どりですが…


私がポンペイで見たのは白い石膏を流し込んで作った人体像ですが、最近は樹脂型どりという手法を使っているそうです。
「ガラス繊維強化樹脂」というのが正式名だそうです。
これは見た感じ、人間の形をした”べっこうアメ”ですな~(-_-;)
この透明樹脂を使うことによって、内部に残っていた人骨なども固められるので、発掘してからより詳しく、人体の様子が観察できるのです。
展示されている遺体には申し訳ない感じもしますが、石膏のものより、より、リアルに死の状態が分かります。


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ファイル 31-2.jpg第二室:人と自然

←モザイクで描かれたお魚たち

人のコーナーに3つの頭蓋骨があり、割れたところより骨の裏側が観察できます。
少年と思われる頭には、まだつなぎ目がはっきり残って、結構細かくギザギザになっています。
じっとつなぎ目を見ていると、かなりキモチワルイです。

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ファイル 31-3.jpg第三室:住まいと都市

←ローマ時代に使われていた投石機(復元)

ここのコーナーではポンペイの人々がどんな道具を使って快適な生活を手に入れていたかをビデオで丁寧に説明してくれます。
ポンペイ展では各部屋ことに1分ほどの勉強ビデオを流しているので、とても参考になります。
ただ、通路にディスプレイをつるすと人垣が出来て、通路を塞ぐのが難点です、
気にいったのは当時、クレーンで神殿を築いていたんですよ~のビデオ映像。単純ですが結構説得力ありました。
それと当時は各家庭に水道が引かれていたことを物語る、青銅で出来た水道管はみごとなできばえで、ため息でました。
ビデオ映像の説明によると、水道管は今も遺跡のあちこちで見かけることが出来るそうです。


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第四室:豊かな暮らし

このコーナーに「パン屋の夫婦」の肖像画が飾ってあります。
当時は狩りや農業がとても発達していたらしく、豊かさの象徴でもある、アンフォラ「先の尖った壺」も多数見つかっています。
しかしアンフォラってなぜ先があんなに尖っているのでしょうか?
ものすごく近くに展示してあるので、なめるように見学出来ます(^_^)。
青銅製の「燭台としてのアポロ像」は、唯一、大きな芸術的オブジェなので、とても目立つのですが、他の人はあまり興味なさそうでした。
やっぱ少年のヌードって人気ないのでしょうか?
まぁ、周りはお年寄りばかりだから…ね。


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第五室:人々の暮らし

大金持ちの「ユリウス・ボリヴィス家」を例に、人々の住まいや身を飾った装身具などを展示してあります。
このボリヴィス家の家屋の復元模型はうらやましいほど、広いです。


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第六室:科学と技術

ここでは計量器具や星球儀などが展示してあります。
興味を持ったのは「肛門鉗子」。
こういう展示物ってあまりないので、すっごく参考になりました。(なんの参考?)


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第七室:世界の広がり

ナポリ湾に面していたポンペイは水陸の交通の要衝という地の利から、大昔から栄えていました。
ここでは外国と交流した証拠の品々が展示してあります。


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第八室:デジタル・システム

パソコンで「ポンペイ遺跡を散歩する疑似体験が出来る!」といううたい文句のコーナーです。
部屋の中にはパソコンが20台ほど並び、操作棒で360度、クルクルと遺跡の中を歩き回ることが出来ます。
最初はおもしろいなと思いましたが、決められたコースを歩き、ただ360度、視線を回せるだけなので、すぐ飽きました。


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ファイル 31-4.jpg■古代ローマ ポンペイ風ランチ■

アピキウスの料理書に書かれていたレシピによって再現。

☆豆のスープ
☆アピキウス風パティナ(ラザニア)
☆レタスのサラダ
☆乳入りの菓子

お手頃価格の980円

これは良い!と駆けつけるも、すでに品切れ。
涙目で博物館をあとにする。

グラハム・ハンコックの謎の超古代文明展

ファイル 39-4.jpg

ファイル 39-1.jpgグラハム・ハンコック監修

謎の超古代文明展

新宿伊勢丹で開催中

ファイル 39-2.jpgおもしろかったところ
キーとなる遺物のレプリカがよく出来ていた。
特にティワナコの太陽の門の復元模型が秀逸!
門の裏側が気になっていた人、必見です。
それと与那国島の海底遺跡の完全模型。
これを見ると、グラハムがペルー・クスコのケンコー遺跡と同じだと言いたい気持ちは分かります。

だめなところ
▼全体的に説明不足というか、翻訳した文章を展示してあるだけなので、初心者には唐突すぎて分からないと思う。
一応、ビデオテープも流していたけど、スポット的で意味をなさない。
特に南極が描かれているという「ピリレイスの地図」に関しては、私でも「?」と頭をひねりましたね。
掲示されているパネルの説明が少なすぎ。

▼「マヤの予言」コーナーと次のフロアを区切る、くぐりアーチの上にある電光掲示板
「現在の時刻」「この世のおわりの時刻」「終わりまであとどのくらい」と親切に掲示してくれているのだが、誰も注意して見るモノ無し。
バルディビアの土器もイマイチ
あんまりインパクトがなかったです。

ファイル 39-3.jpg←本物のトトラ船



←エクアドル出土の土器と破片



で、感想は?
「今更、グラハム?」という感じですが、小学生とか見たらすっごくいいと思うのに、子どもの姿はまばらでちょっと残念でした。
視覚的にはおもしろいのですが、それを支える説明が難しすぎのような気がします。
与那国遺跡は地元のダイバーが見つけたのに、さも自分の手柄のように自慢するのはいかがなものかな?


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おみやげコーナー

何故か大英博物館の品々が売ってました。私も愛用している「ロゼッタストーン・マウスパッド」が
2500円くらい、ミイラの棺桶型筆箱(けっこう高い)など。
あとはおきまりの南米グッズ等々。

インダス文明展

ファイル 37-1.jpgインダス文明展


観覧のキモ=生活のすべてはこの時代に完成していた!


都市文明のあけぼの
入ってすぐの壁にバローチスターン丘陵・麓の諸文化(7000~2300BC頃)と題して、5カ所ほどの遺跡の写真がありました。
でも多くは土まんじゅう。モヘンジョダロも最初はこんな形だったのかなと想像…。

ファイル 37-2.jpgメヘルガル出土の土偶(絵はがき見てね)は、はじめてみるわけではないのに、「あれ、こんなにきれいだったっけ?」という思いが。
そう、全部カラチの博物館に展示されているものだったわけです。
2回もパキスタンに行ったのに何故カラチに行かなかったのかと後悔しきり。
お気に入りはNo47、No48(イギリスの裁判官みたい)、No58です。
これから行く人、チェックしてね。


モヘンジョダロ・コーナー
▼「都市の形」として復元図がさりげなく壁にかかっていました!
▼モヘンジョダロ市街地の家屋の復元模型
模型と呼ぶには大きすぎる、1/1のサイズです。
ある家をモデルにして、井戸と隣に併設された沐浴室を再現してありました。
なんと井戸には本物の煉瓦を使用しています。
行ったことのある人なら分かりますが、壁の高さがリアルでした。
当時は2階建てだったらしいので、どの住居も壁が高いそうです。
意味もなく、なんとなく置かれた土器がキュートです。
▼本物の焼き煉瓦に触れるコーナーあり。


展示会の超目玉
「神官王」(チケットの顔ですね)
始めての対面!緊張から発した第一声は「お~ちっちゃい!」
教科書等でこの像を知ってからウン十年、頭の中では勝手に60センチくらいの巨像に育っていました。
目の前にある、このちっちゃい像が本当にあの「神官王」なのか?(自問自答)
う~ん、写真のトリックだ。
しかし、他の客も同じ感想のようでした。


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おみやげコーナー


ファイル 37-3.jpgインダス文明展のおみやげコーナーはオリジナル商品が多く、購買意欲がどんどん湧いてきました。
「やればできるじゃん!」とスタッフに言いたいほどでした。
今回買ったのは「神官王」のマウスパッドです。これで600円は「買い!」ですよね。
その他、Tシャツもいいデザインでした。

エジプト文明展

ファイル 36-1.jpgエジプト文明展

観覧のキモ=職人の魂は道具にあり! ヒエログリフの美は彫りの鋭さにあり!


入り口入ってすぐにピラミッドの模型があります。
かなり大きな模型で、縮尺など正確なため、申し訳程度の大きさの「働く人々」が絶品です。
普段は意識しない地下の間などがよく再現されているので、よく見てね。


ファラオの興り-古王国時代
No.34 神官ネフェル・セシェム・プタハの偽扉
今回の展示物中、傑出した素晴らしさ!
近づいてよくみると、象形文字の彫り口がまさに直角!
2300~2180BCのものとはおもえない、職人芸を感じさせる扉です。
このように石を削るのはよほど刃先をするどく整えないと出来ません。
腕のいい職人の意地は時を超えても感動を与えてくれるものですね。


No.8 建築家カエム・ヘセトの家族像
カエムは「王の建築家」で「彫刻家の長」であったため、当時の一流の彫刻家によって自らの家族像を彫ってもらったのがこの作品。
どれどれと近寄ってよく観察すると、確かに頭の毛の彫りが他の肖像より細かく彫られています。
それとカエムの鼻は、なんだか存在感があり、こういう細かい仕事が一流と呼ばれるゆえんなのかと思いました。
お茶目なのはカエムと妻の間で指くわえている子ども。ここだけ手抜きな感じもしますが。


ファラオの隆盛-中王国時代
No.45 カノポス箱(2040~1785BC)
ミイラの内臓を壺に入れ、それを保管しておくための箱。
それだけの用途にすぎないのに、細部にまで行き届いたこの仕上げはいったい何なのだろうか?
ふたと箱の継ぎ目はぴったりとし、境界線はまっすぐで、すこしのゆがみもない。
また箱の表面はよく磨かれていて凹凸がない。真っ平らなのだ!
石をこれほど磨くのにどれほどの時間が必要だったのだろうか?
石工の意地を見せつける一品です。
蓋の上部には曲線を持たせ、全体のデザインはアールデコの雰囲気も漂っています。

ファラオの栄光-新王国時代
歴代のファラオの中でも異色の美的感覚の持ち主、アクエンアテン王の時代の遺物はどれもモダンです。
たとえば No.76青色彩文土器のデザインは現代のわれわれでも欲しくなるほどです。
しかし圧巻なのは、尖ったあごをもつアクエンアテン王の彫像。
あまりにもリアルです。
カイロの博物館にはもう少し多くの作品が展示されていますが、どれも印象的で、そこだけ空気が違ってました。

ファラオの交流-末期王朝時代
特に印象に残ったものはありませんでしたが、ミイラが入っていた木棺に小学生が驚いてました。

ファラオの輝き-黄金の時代
No.123シェションクⅡ世の胸飾り
でかいスカラベが印象的な胸かざり。
このスカラベ、一見すると草まんじゅうのような愛らしさ。
でも横から見ると「虫です、ども」という感じでラブリ~です。
細工も細かく、とても素晴らしい装身具です。

メソポタミア文明展

ファイル 34-1.jpgメソポタミア文明展


観覧のキモ=秩序と雄々しさ! ヒゲの文化は伊達じゃない!


ルーブル美術館に所蔵されていた品々、特に「文外不出」といわれる「ハンムラビ法典」が日本に来るというので、結構混んでいました。
メソポタミア系の展示会というのは案外少ないので、多量に見ることが出来るこの企画はまったくありがたいモノです。

シュメール文化の中心地として世界的に有名な「マリ遺跡」を訪問した私はその荒涼ぶりに唖然とし、「話が違うではないか!!」と吼えたことがあるので、今回は華麗なるマリ遺跡の出土品を期待していました。

なお、今回は入り口で「展示目録」が置かれてなかったのが非常に残念。
上野にはあるのに世田谷では配らないなんてちょっとひどいですよね。料金いっしょなのに…。


ファイル 34-2.jpg概要

最初に足を踏み入れるホールには四つの巨大なパネルに主要なメソポタミア遺跡の写真が並んでいました。
1.ウル第3王朝(2100BC)のジグラット
2.前14C半ば以降、アッシリアの都市が置かれていたアッシュールとチグリス川
3.アッシリアの王センナケリブ(704~681BC)が首都として建設したニネベの門(背後の岩山がそそる)
4.6BCに繁栄していたバビロン遺跡

パネルの下にはそこから出土した遺物が展示されています。


★音声ガイド3「山羊を描いた杯」
ペルーの「チャンカイ遺跡」出土の土器と色合いなんか似てますよね。
一見すると「だまし絵」みたいですが、犬と大きな角を持つ山羊が描かれています。
その山羊を囲む直線の枠がまたピリッと聞いていてこれが5000BCの感性かと驚きましたね。
これは初期ウバイド朝(5000BC)のもので出土は「スーサのアクロポリス」となっています。
(スーサは現在イラン国の南部にあたります)


●閃緑岩の「軸受け」
一抱えもある大きな石なのにさりげない存在感。
軸受けとは扉の軸を支える土台のところ。よく使い込まれていてピカピカです。

第3章 アッカド帝国

ここでは前2350にアッカド帝国に君臨したサルゴン王の時代の遺物を展示しています。
ここでお待ちかね!


生ハンムラビ法典!
感想:
思ったよりも大きく、堂々としている姿も良し! 玄武岩の存在感も素晴らしい!
巨大な円筒石にびっしりとくさび型文字が掘り込まれているのですが、近づいてよくみると、その刻線の細いこと!
神から権力と支配を象徴する杖と輪を渡されるハンムラビ王。
法によって国を治めるという世界最古の法典を作った王にしては、謙虚な姿がそこにはありました!
法典が展示してあるコーナーには3台のモニターが置かれ、「ハンムラビ法典の発見」「法典の意味」「楔形文字」について解説ビデオを流していました。
モニターが入り口近くにあるので、そこだけ混み合い、落ち着いて鑑賞できなかったのが残念。
法典の歴史:

バビロニアにあったこの法典はエラム人が戦利品として持ち帰り、やがてエラム人の滅亡とともに忘れ去られ、
1792年にフランス発掘隊よってスーサ(もとエラム人の都市)から発見された。


ファイル 34-3.jpg 第4章 ラガシュ国のグデア…シュメールの復興

グデア王(2125~2110BC)
ラガシュ国のグアデ王はバビロニアに影響を受けた芸術を捨て、シュメール・ルネサンスを起こし、
新しい時代を築いていきました。
展示物にはグデア王の名が刻まれているものが多い。
その中でも当の「グデア王」自身の像は王の石「閃緑岩」で作成されています。
やさしげな王の表情とは別に二の腕の逞しさがこの王の本質をあらわしているような気がしました。

第5章 バビロンのハンムラビと人々の暮らし


ファイル 34-4.jpg★音声ガイド12「生け贄の執行人」
マリの宮殿から出土したこの壁画。
「う~ん、こんなものがあったのか」と、あの発掘現場を思い出し、しみじみ…。


ファイル 34-5.jpg第6章 アッシリア
この時代くらいが私たちがイメージする壮麗なメソポタミア文明と合致するんじゃないでしょうか。

★音声ガイド23 「歩行するライオン(行列通路のレンガ装飾)580BC」

何度も本で見てきたあの「ライオン」が自分の前に……。ちょっとジーンと来ましたね。
背景の青はイスラム圏で割と目にする青の釉薬で染められています。
ライオンの身体に使った黄色も深みがあって美しかったです。

当時は威厳のあるライオン画が左右の壁にずら~っと60頭も並んでいたそうですが、
ため息でるほど美しかったと思います。


ここのピカイチ
とんがりカブトをかぶった2人の兵士を描いた低浮彫り(ニネヴェ出土・645~640)
表情が渋い!勇敢な兵士の一瞬を切り取ったような表情がいい!意思の強さを感じさせる鼻の存在感も○。

第7章 ペルシャ帝国治下のメソポタミアとアレクサンドロス大王征服以降


★「ペルシャの射手」 スーサのダレイオスⅠ世の宮殿アパダナ(謁見の間)522~486BC)
ここでの目玉はなんといっても装飾レンガ!
ひげヅラの兵士が身にまとう服には、かわいらしいお星さまが!


★「王の頭部(530~520)」
キプロスのマルラで出土したなんの変哲もない石像頭部です。
「アッシリア年代記」の解説によると、

「キプロスはアッシリアに征服され、ペルシャに征服されるまでアッシリアに貢物を送っていた」
あんな小さな島なのに王が君臨していたのかと、ちょっと驚き。


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ファイル 35-1.jpgファイル 35-2.jpgおみやげコーナー
ルーブル美術館で売っているものも混じっていましたが、まあ品揃えとしては70点くらいをあげたい。
写真のクリアーファイルは他にもあったのですが、今回の目玉はハンムラビ法典なので、その絵柄を購入するポイントにしました。

右手は「ハンムラビ法典・ペンケース」です。ちょこっと小さいのが良し悪し。
マウスパッドもありましたが、「メディア朝貢使の頭部」とか題材のポイントがずれているものもありました。
絵はがきもパッとせず、ちょっと残念。

中国文明展

ファイル 32-1.jpg 中国文明展

観覧のキモ=古いものほど大胆不敵! 

鶴間和幸先生が大陸をまわって集めてきた珠玉の品々を「よ~し、見てやろうじゃないか!」と、
挑戦的な態度でドスドスと美術館へ行って来ました。
しかし美術館を出る頃には「こりゃ、参りました」と素直に頭を垂れてしまいました。
なお、今回は解説イヤホンを借りた人にだけ「展示目録」が渡されていました。

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ファイル 32-2.jpg中国文明の誕生(新石器時代)

●石辟邪(せきへきじゃ) 後漢25~220AD
入口にまずこの石虎が登場。
身体の両側に翼が生えていて、ペガサスの虎版というものでしょうか?
NHKの「カードキャプター・さくら」を観ている人なら「ケロちゃん(ケルベロス)」と、
頬をすりすりしたくなったと思います(きっと!)

ファイル 32-3.jpg2.猪紋黒陶鉢 新石器5000~4000 河姆渡遺跡(浙江省)
どっしりとした黒陶の表面を削り、下地を出す方法で可愛らしいイノシシを漫画のひとこまのように描いていています。


6.陶鷹尊 新石器5000~4000 陜西省(仰韶)

ひとかかえもある、大きな鷹の形の酒瓶。
一目見て「モチーカ?」と思ったほど南米的なデザイン。
これが新石器時代の縦穴住居に置かれていたのを想像すると楽しい。

8.旋渦紋大彩陶罐 新石器3000~2000 
いわゆるアンダーソン土器と呼ばれるウズウズした壺です。
しかしこれほど大きく美しく完品は珍しい。
つやつやとした表面は、今から5000年前のモノとは思えません。

都市文明の交流(夏殷周)


ファイル 32-4.jpg21.銅偶方彝 殷(商)16~11BC(安陽)

「婦好」という女性が使っていたというモノ入れ。
女性が使うというよりはメカゴジラが使っていたようなボテドテ感。
中国で宗廟の祭に常用した銅器だそうです。


● 人面紋銅方鼎 殷(浙江省)

なぜか顔が鼎の中央にあります。
とても保存状態がいいです。
中をのぞくと、内側に文字があります。誰の顔だったのでしょうかね。


四羊銅方尊 殷16~11BC(安陽)

四隅に羊がかたどられている、黒光りしていて美しい尊です。
大きさといい、描写の巧みさといい、殷代を代表する尊とも言えます。

24.銅豚尊 殷(湖南省)
豚をかたどった、でかい酒器である。
背にちょこんとついているにわとりもキュートだが、顔まで文様がついた豚を見て「諸星大二郎の世界だ~」とつぶやく。

中華世界の興亡(春秋戦国時代)
37.王子午銅鼎 春秋770~451BC(河南省)

ゆがんだ「エノキダケ」を取っ手に貼り付けたような異様なかたち。
蝋付けの技術が採り入れられるようになって青銅器は新たな形へ変容していく。


方尊(復元)
菓子満さんが復元した尊です。
黄土高原の土を型にして造ったものですが、細部までよく線が出ています。
輝きは発行されたばかりの10円玉と同じような輝きでした。


ファイル 32-5.jpg壁画・宮女図
西安から持ってきた今回の目玉。
鶴間先生が言っていた中国役人の封印、発見!。ガラスの両端にぺったりと貼ってありました。
遺跡マニアならコーナー隅の「唐恵荘太子墓」の発掘現場写真を見忘れないこと。
参道と墓室の土を取っ払ってあります。古墳の発掘現場ってなんか哀れを誘いますよね。

古代帝国の文明(秦漢)
入ってすぐに秦始皇帝が造らせた兵馬俑が3体、あなたを威嚇してます。
先生が持ってきたかったのに持ってこられなかった、1号銅馬車と一緒に出土した銅矢箙・銅弩・銅剣などが展示されています。
銅剣は酸化クロムメッキが施してあるので、今でもピカピカ。すごい技術です。


銀縷(る)玉衣 前漢202~後8
2216枚もの軟玉をつないで作った遺体を覆う葬服。
これを着せておくと遺体保存に役立つと信じられていた。


てん王之印 前漢 (雲南省) 前漢202~後8

てんの文字が出ませんでした。
蛇の形のつまみを持つ印鑑。日本の金印と同様にこれも漢の武帝が下賜したもの。
おみやげにこの印の「消しゴム」買いました。


祭祀場面銅貯貝器 前漢(雲南省) 前漢202~後8
127人の人物がまつりに参加している様子をあらわしたもの。
よく見ると石に縛り付けられている人とか石にからみつくヘビとか気になるものもあった。


胡漢文明と仏教(魏晋南北朝)
唐以前の仏像が並ぶ。
個人的にはこの時代の石窟が大好きで、中国滞在中はあちこち、地図を片手にまわりました。
残念ながら今回は北魏朝の仏像は来ていませんでした。


世界帝国と東アジア(隋唐時代)


十二生肖陶俑 西安
高さ30センチほどの十二支が円を描いて展示されています。
中国から日本に伝わってきた干支というものは、この頃にはもうあったんですね。

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おみやげコーナー
特に目新しいものもなかったのですが、鉛筆と消しゴムのセットが360円と手頃だったので買ってみました。
この鉛筆には古い漢字が金文字で書かれていて、なかなかヨロシイ。
しかし、けしごむはちょっとダサイ。

ここには定番のマウスパッドはなかったです。
それにクリアファイルも他の博物館より20円高かったです。

講演会「中国文明の遺産」

ファイル 38-1.gif講演会「中国文明の遺産」

講師 鶴間和幸氏(学習院大学教授)

なぜ地元で「中国文明」を取り上げることになったかというと、事前にアンケートをしたそうです。
舞台に登場した鶴間先生はテレビでみたよりヒゲが好印象で、親しみやすい感じがしました。
NHKの「昼どき日本列島(お昼にやってる番組)

ビデオやスライドを交えての講演でしたが、やはり興味深いのは展示会の裏話ですよね。
この「四大文明展」はご存じのようにNHKが開局75周年の記念行事として行っているのですが、
そもそも言い出したのは誰かというと「京都支局の偉い人が2年前に言い出した」のがきっかけだそうです。
それから鶴間先生は監修を頼まれ、展示品を探すため、中国各地の博物館をまわったそうです。
「どうせなら今まで日本に紹介されていない、すごくて大きいモノ」をゲットするため、交渉も大変だったようです。

この講演会では中国展の招待券をくれるので、ちょこっと得しました。

話の中ですごいな~と思ったのは、西安の兵馬俑坑から「色つきの兵士俑」発見され、そのなまなましい写真を見たことです。
こんな写真をみると、当時の兵士俑には目がギョロリとついていて、本当に生きているようです。
目のついたモアイ像がどことなくまがまがしく見えるのと同じかもしれませんね。

運搬は「日通」の美術品運送のプロにお願いし、スタッフは何度も中国へ打ち合わせに行ったそうで、唐代の壁画は特に湿度の変化があってはならないので、特殊な装置を開発したそうです。

最後に:
有名な先生でも眠くなる講演が多い中、鶴間先生の熱い情熱は2時間とぎれることなく、こちらに伝わり、楽しい話が聞けたなと大満足でした。

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